英語のBe動詞を、ポーランド語ではbyć動詞 と呼びます。
英語と同様、この単語は不規則に変化するのですが。
これを、“です“や“ます“にしてしまうとなんだか混乱する。最近の悩みです。
外国語を学んで、日本語がもっと好きになったことは前も書いたのですが、日本語とそれ以外の言葉は、根本的に全く違っているので日本語に当てはめようとすること自体がナンセンスだと最近強く思います。
例として、ポーランド語で文を3個書いてみます。
1)ostatni pociąg jest za dziesięć minut.
2) dworzec kolejowy jest obok parku.
3) lotnisko jest poza miastem.
アンダーラインがbyć です。
この動詞を、主語と述語をつなぐイコールとか、“です“や“ます“だと考えると、どうしてもポーランド語を日本語変換しようとするので無意識に翻訳思考回路の呪縛にハマってしまいます。
“です“や“ます“や“だ“は、日本語だけに存在する概念じゃないかなと思うわけです。日本語は、単語を入れ替えても意味が通じる言語ですが、ほとんどの外国語は、それができない。日本語は最後がもっとも大切なので、“です“や“ます“で締めくくる必要があるのではないかと。
さっきのポーランド語を意訳すると。
1)最終列車は10分後“です“
2)駅は公園の隣“です“
3)空港は街の外にあり“ます“
ポーランド語には、“です“と言う概念がない。なのに、日本語に意訳する時は、最後に“です“と言うルールになっています。これは慣れるしかないのかな…
と思っていたところ、二つの思考回路が違うならどっちも正解なんだから、慣れるってなんだか敵みたいで嫌だなって思ってしまいました。
日本語の、文法構造は。
“私は、あなたを見つける“
ですが
ポーランド語は、こういう思考回路ではなく
“私は見つける。あなたを“
znajdę Cię
が、正解です。
しかし、日本語のポーランド学習参考書は、ほとんど
“私はあなたを見つけます“
って訳されているわけです。
日本語に訳すのか、それともその国の言葉のまま理解するのか問題は、私の中にずっとあったのですが、最近確信となっているのは、全単語をそのままの流れで訳せるようになったから、ポーランド語の学習をしているはずなのに、チェコ、英語、イタリア語の文書の作り方に慣れていっているということ。
文字を読む場合は可能でも、発言は後ろの単語を待つことは難しい。
ですから、頭から組み立てる方法をトレーニングすることで、外国の文字の並べ方を慣れるのがやっぱり大事なんだなと。これ、文法が大事という話とは違う気がするんです。
Czy mogę zobaczyć pana mapę?
? できる 見る あなた 地図
ここであえて止める。
日本語の意訳である日本語構造
“私は、あなたの地図を見ることができますか?“
にしない。
この訓練を無意識にしていたから、ポーランド語の単語やフレーズを見たまま理解できるようになったのだと思います。その結果英語もわかるようになった。
確かに日本語の構造にした方が心地いいのは間違いないですが、それでは日本語のまま。
外国語を学んでいるのなら、外国語で使う脳の思考回路が必要だと感じます。
+
チェコ語もポーランド語も、スラブ語族なので、よーく似ています。
格変化と呼ばれている単語の変化で状態を表すことと、言葉に、性別があり…
逆に日本語は、「てにをは」と呼ばれる、単語に付け足すことで意味を通じさせる言語です。
だから、日本人が外国語を学ぶと混乱が半端ない。
朝食“に“
ではなく、
→ “Na" śniadanie
です。
これで、日本語の意味は
→ に、朝食
この思考回路を脳に受け入れさせて、そんな言葉遣いもあるんだよと知らせるしか方法がないような気がします。
日本語の“てにをは“がとても難しいように。
スラブ系の格変化も異常です。
これ、複数だし、男性名詞だし、“与格“だから、単語はこう変化する。
とか平気で参考書に書いてあります。
試しにChat GPTに聞いてみましたけど、納得のいく答えは得られませんでした。
AIはまだ、言語の真髄に辿り着いてない。か?
私の質問のレベルが低い。か?
+
気を取り直して。
ポーランド語にも、チェコ語にも、格という概念があり、それが日本語の“てにをは“です。
両者とも難解なので、日本語学習者が、“私が行きます“と似たような現象が起こります。
“が“ってなんだよ!
みたいな。
私がすることだから、“が“のはずなのに、なんで“は“なのだ!?
外国文法では、“私 する あなた する か?
みたいな感じなので日本人の感覚は難しいのかもしれませんね。
スラブ系のネイティブレベルになったらどんな違いを発見できるのか楽しみになります。
話を戻すと。
チェコやポーランドのスラブ系の言語は、単語を変えることで日本語の“てにをは“に対応していると知る以外に道はありません。
格の種類は基本これ。
名詞も形容詞も変化するから、まあまあ大変ですが。
1、主 が
2、生 の
3、与 に
4、対 を
5、造 で
6、呼 よ
『我の荷を出よ』
意味不明の日本語ですが系統的に日本語と対応させるとしたら、上記となります。
例を一つ。
⭐︎ kultura japońska słynie z bardzo bliskiego związku z naturą.
アンダーラインを引いた単語の基本形は“bliski(近い)"です。
語尾がこれ“i"でおわる場合は、こう変化するという規則があるのですが、それは今のところ無視して、最後の“ego“を見つけて、それが“生格“だと分かれば、“近い“が“近いの“だと理解できます。多分これが文法力。
それを見つけられなくても。
文化 日本 有名 とても 近い つながり 自然
として意味は理解できます。
日本語じゃないので、日本語の文法に当てはめず、そのまま読み込む。
あー難しい。
しかし、多分この記録も、過去にはそんなことで悩んでおったなと
ほくそんで、未来の私が見ていることでしょう。