4年前の1月。
日本人としては少数派であろうチェコ語の学習を始めて、一体どうなるのかが未知だったので記録に残していこうと考えました。
そして4年が経過して、当時から変わったことと変わっていないこと。
変わったことは、チェコ語以外も勉強していること。
変わっていないことは、言語学習を継続できていること。
2020年のチェコ旅行キャンセルから4年後、隣国であるポーランドへ。てっきりチェコ旅行をリベンジするものと思っていましたが、未来は未定であることを自分で体感するのはとても面白いものです。
私の場合、絶対譲れないものや自分が本当に好きなことを最初から知っていたわけではありません。ずっと言語が大好きでたまらないというわけでもありません。なんでこんなに大変なことをしているのだろうかと思うことも年に数回起こりますし、もういっそのこと旅行の時は翻訳機に任せて学習自体をやめてしまおうかと考えることもあります。
でも。なぜかやめられないのは、何か理由があるのでしょう。
その答えが一体なんなのかを、今この瞬間知りたいとは思わなくなりました。
これから先のどこかのタイミングで知ることになるのだと直観が言うからです。
脳の仕組みはとても面白く、ゆっくりだけど確実に変化します。だから自我が、速さや劇的な変換を期待すればするほど幻滅することに。自然現象と脳の構造はよく似ていて、タネがある一定の期間を経て、あるとき芽を出すように、脳も時間を費やせば確実に変化して芽が出るわけです。この快感を言葉にするのはとても大変です。
ちゃんと継続しましょうって一言で片付けるのは、なんだか違う気がします。
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言語ってなんだろう? ってどこまでもシンプルに小さくまとめてみた結果、現時点でたどり着いたのは、『説明』か『質問』
言い方を知るために、文法があり
多くの言い方のために、語彙が必要で
たくさんのフレーズを覚えていくより
完全に自分のものにしたフレーズが5個ある方が
言語力は高くなります
説明を細分化すると、
自分のことと、相手のこと、そしてそれ以外のこと
単体とか複数とか時系列と
枝分かれしていくのでその都度言い方を拡げていけば良いのですが
自我意識はどうしても、知らないことを恥として、知っている状態に快感を抱くので、同じことを繰り返すのが苦手。特にいろんなことを経験すればするほど(大人になればなるほど)自我意識との戦いが待っているのです。子どもが吸収早いのは、年齢に対することではなく、繰り返すことを頭で考える力が少ないからだと感じます。
自害意識をいなすのではなく、抗うこともなく。そういうものだと考えていれば勝手に消えてなくなります。継続して得られる快感の方が、何倍も強いので。
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チェコ語と、ビール。
は原点で、スタート。
今は学習ウェイトをポーランド語に全振りしています。しかし、チェコ語を含め、今は休んでいる全言語もちゃんと成長している謎については、誰かがどこかで説明してくれることを望みます。
なんとなく今思っていること。
言語にも、何か本質みたいなものがあって、母国語以外の、言語をとことん突き詰めることにより、脳が何かを探しているのかも。
ポーランド上陸まで、あと1ヶ月半。
今年の後半は、チェコに行きたいけど、なぜか最近アイルランドが気になります。
アイルランドといえば、ケルト。
そしてケルトといえば、ローマがガリア人として敵視していた民族。
今はアイルランドにいるけど、昔はヨーロッパを支配していたなんてことを考えるとまた面白い。
スラブ言語(チェコ、ポーランド、ウクライナ、ロシアなど)は、なんとも説明できない面白さがあります。スラブ言語が、好きになったのか。元々好きな要素があったのか不明ですが。