ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

サ行変格活用が難しいのと同じ

小倉に、大好きな居酒屋があったのですが、今日知り合いから、そのお店が今年の年始に合った火災で焼けたと悲しいお知らせが。。復興したらまた絶対に行かせていただきたく。

しかし、本当になんだか年始から怒涛の出来事が多い。

羽田空港の事故も、海外メディアの取り扱い方半端ないです。

 

 

ソーシャルが発達しているから、リアルかフェイクかよくわからないものが飛び交っており、戦争はドローンが使われて、平和だと思っている人々たちはAIに湧いて、仮想通貨が富の象徴みたいな存在になって。ローマ帝国の時代から、基本的にはそのツールが変化しただけで進化などしていないと強く感じます。

 

正義を翳し、それぞれの正義がぶつかり合い勝者だけが歴史を作ることができる。その歴史を作っているのは紛れもなく言葉です。言葉は真実も嘘も分け隔てなく放たれます。戦国時代のザビエルが日本の戦力を視察に来たスパイという視点もありますが、もはや神は人間の欲の権化のような気さえしてきます。

 

でも、言葉によって人は勇気づけられることもまた事実。

だから言葉も、水や火、風など大自然のエレメントと同等で諸刃であり、それを使う私たちは使い方を間違えてはならないと強く感じるわけです。

 

私が言語に強く惹かれるのは、そういう側面もあります。

 

 

側面と言えば。学生の時に、苦手だった教科はここで何度も登場しているネタなので、今更ですが。他にも苦手なものがありました。

 

それは、美術。

 

もう、絵心が乳児から進化していないのではないかと自分で疑うレベルで、デッサンの授業は苦痛の極みでした。学生の時苦手だった英語が今ひっくり返っていることを考えると、もしかしたら美術もと思ったところで、とはいえ絵画は今も無理でしょ。とすぐにもう一人の自分が反応。その時、ふとよぎったのは。

 

どうやら私は、ある事柄について限定的な見方(視点)をしてしまう傾向にあるようです。

 

美術=絵画

だけじゃないのですが、それはわかっているのですが。

その言葉の持つイメージの一番大きいものを、そのものと勘違いしてしまうような。

デザインは大好きだけど、それは芸術な気がするとか勝手に思い込んでしまう悪い癖があります。

 

そして、諸刃の話をここに応用すると、私のその悪い癖は、もう一つの得意分野が影響しています。それは数学の、証明。

 

数学の証明だけは、何時間も解いていた記憶があり、両親もなぜそんなに証明が好きなのかと不思議だった記憶があるそうです。

 

つまり、美術でイメージできるものの最たるものが絵画だから、それが苦手な私は、美術が苦手だと思い込んでいたのです。そして英語も。ある先生の授業がではなく、学生時代の英語の先生全てから、私自身が英語の面白さを汲み取ることができなかったのを先生の所為にして、英語とはつまらないものだと、導いていたのです。よく考えると、学生時代に遭遇した英語の先生が全員(100%)私に合わないから、全世界の英語の先生が全員(100%)合わないことなんて、誰が考えても間違いなのですが、しかし、18年しか生きていない高校生の脳内ではそれが最善の解だったのでしょう。

 

そして大人になり、チェコ語から始まった言語学習を通して痛感したのが。

答えは一つしかない。わけではない。

 

「そんなことはわかっているよ、でも!」

ドラマでよく見る、あれです。

 

人間の感情は数式では導き出せない。しかし、何も指針がないと拠り所がない。

だから一定の答えのようなものが欲しくなる。私が正しいと思うために敵を作るとか。

 

そしていろんな方法を試して、また初期の頃に戻ったり、背伸びして難しい問題に行ったりと。言語の取得度合いを時間軸に例えるなら、過去と現在と未来を常に移動します。この移動が言語の学習は本当に楽しいのです。

 

言語の学習を始めた時、学習とは一本の矢印が今から未来に伸びていて、紆余曲折(上がったり降ったり)しながらどんどんと前に進み続けると思い込んでいました。でも全然違います。脳を思い切り使うため、奥深くに仕舞い込んだ記憶とか感情(当時のもの)も出てきて、その感情が年齢を重ねたもう一人の自分(今)に降りかかります。

 

過去は変えられない、未来は自分の選択で無限に広がる。

それは数式としては完璧です。

 

では、今の私は、過去の集大成として“今、存在している“のだから、未来私が変わるということは、一緒に過去も変わったという解釈があってもいいのではないかと思います。

 

過去の出来事そのものが変わるのではなく、その時の感情が変わることで、過去の出来事も違う側面を見せる。

 

言語もそうです。ポーランド語の学習開始から1ヶ月の頃、本当に全くわからなかったのに、今そのコースを再度チャレンジすると、とても簡単に感じます。(過去と今)

 

そして最近ぼやいている悩みも、これから半年後か1年後に、とても簡単に感じるはずです。(今と未来)

 

 

私たちが、サ行変格活用と言われてサッと出てこなくても、少し難しい論文を読めているということは、文法の理解は日本語力の補足なのだと納得できます。でも、今からサ行変格活用を勉強すると言われたら、私は嫌です。それより村上春樹さんの小説を読みたい。というように。チェコ語やポーランド語の、7とか6とかに変化する格変化ばかり覚えていたら嫌になります。本当に数十も変化する単語を全部知っていたら、それはAIです。

 

“働く“のポーランド語辞書に書かれている単語は

“Pracować"です。

これは、“私“の場合は、“pracuje"

“あなた“の場合は、“pracujesz"

彼女、彼、彼ら、それら、私たち、あなたたち(男性のみ、男性と女性)

という覚え方を私の脳はなぜか全力で拒否します。

 

 

これが昨日書いたものへの仮説解答です。

私は、どうもセットで覚えたい人なようで。

 

彼女は、オフィスで働いている。

を完コピすることで、

 

Ona pracuje をセットに。彼女は働いている

w biurzeをセットに。オフィスで

 

完コピすると、これが公式になるので

On pracuje 彼は働いている

w szkoła  学校で

Szkoła 学校、学校、学校

使い方を覚えなくてはならないので、まずは使い方を学んで、個々の単語については後で学ぶという方式が私にはあっています。

 

そして、試しにリトアニア語で応用してみたら、たった数時間で5個のパターンをマスターすることができました。これでは現地での会話は全くできませんが、ひたすら、病院とか駅とかの単語を覚えていくよりも早く脳に定着します。

 

で。

 

W szkoła がわかると、学校ですることが逆に展開できます。

 

学校には、必ず勉強している人がいるはずなので。

uczą się w szkole.

何を?

Uczą się japońskiego w szkole.

下線の通り、日本語を。となります。

 

Się が再帰代名詞で、なんちゃらより。

Ona uczy się japońskiego.

似たような例文を並べてずっと書いたり読んだり声に出したりすると、そこから先は脳の伝統芸能に従うだけです。

 

W supermarketu :スーパーマーケットで

これを使うなら

買い物したり、レジで働いたりが表現できるようになります。

pracuje jako kasjer :働く として レジ係

w supermarket:スーパーマーケットで

 

まとめ

 

今回体感したことをまとめると。

脳は、直列より、並列が得意ということです。

単語単体の記憶は、直列なので脳の力を発揮できない。

この単語、何? ・・・わからない。

この方法でも、必ず覚えることができます。

一方通行のやり取りは本来脳は苦手じゃないかなと思うのです。

 

パッと聞くと並列処理の方がマルチで難しそうですが、脳は高速回転してまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報を瞬時に見つけることができます。

 

私たちの脳が、この方法に似たことを身近でしているのが、某グルメ予約サイトです。

 

掘りコタツ×完全個室×記念日×サプライズ対応

なんとなく、記念日×レストランよりも、脳が喜んでいる感じがするはずです。

こんな複雑な理論式は現実のサイト検索にはありませんが

 

無限にある複雑な可能性から、選んでください。

というお題は、脳が大喜びする方法論な気がします。

それは、私たちの人生に似ているから?

もしかして本能として備わっている?

 

ということで、今検証中です。

 

2019年11月は、ビール×チェコ語

今は、ビール×言語×歴史×日本文化×料理

 

答えは・・・またいつの日か。