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  ビール好きの言語学習録|チェコ語:ポーランド語etc…

韓国の仕事と、韓国語の学習

前回書いた通りで、韓国に滞在することになりました。

 

私の年代は、韓国は反日感情があると小さい頃から教えられていたので、なんとなく避けていた国。とはいえ、大昔にはかなり友好的な関係を続けていた国で、特に私は九州の生まれなので、おそらく御先祖の方々は関係を築いていたことは想像できます。

 

そういう前提がありながら、15年前にソウルに行った時とは違う今回の滞在で、自分の中の韓国意識が完全に切り替わってしまいました。

 

まず、韓国は日本によく似ているということ。

 

文化などを現地の人たちに教えてもらうたびに、日本に似ているなと感じることが多いです。

 

そして優しい人が多い。初見は冷たそう、というか表情がない人が多い。日本みたいに、過剰なサービスはないと感じます。正直というか。

 

個人的には、韓国人はめっちゃ日本人が好きだと思います。

 

地方都市に行ったときに、レストランに入るか迷っていたらお店の人が出てきて、「どこの国からきた?」と英語で聞かれたので日本って答えたら、お店のレジに飾ってあるガンダムを見せてくれて、日本は最高だって英語で言ってくれたり。

 

一人で飲んでる現地の人から、日本人がもっと韓国で増えてほしいって言われたり。彼は、「今はある国の人々がこの国に増えていて困っている」って、話してくれました。

 

また他の場面では、お皿を片付けてレストランを出ただけで「これが日本だ」ってInstagramに投稿されるほどです。

 

やっぱりネットの情報だけではなくて現地の声は大事です。

 

ということで、韓国語の学習を始めたのですが文の作り方は日本と同じで、単語も日本語にそっくりなものが多いです。

 

今回の学習のテーマは、使用頻度。

 

レストランで、言いたいと思ったことを書き留めて、それを覚える。

1日、5個くらいのフレーズを完全に覚えていくスタイルです。

数字通りには行きませんが、現在2ヶ月経ち300くらいは空でいえるフレーズがあります。全て実際にネイティブが日常生活で使っているものばかり。

 

あと、単語の不定型(辞書にあるやつ)と過去形と願望をセットで覚える。

食べる。の場合、食べましたと食べたい。をセットにするように。

行く。も同じ。する。も同じ。

 

今回は、現地にいるので。覚えた単語やわからないことは仲良くなった店員さんに伝えてみて合ってるかなどを確認する。

 

あと、今回少し変えたことで、日本語が上手な人が多いので彼らの日本語を聞いて思ったことがあります。それは、接続詞の使い方が上手いということ。理由を聞いたら、文と文をつなぐ単語を知ることで、急に日本語を話しやすくなった。とのこと。

 

ということで、ある知り合いは、「じゃあ、まあとりあえず」を多用します。

旅行を楽しんでください。の前にこれを繋げることで、日本語が上手に聞こえてしまうんです。

 

まだ未定ですが、もしかしたら来月末までいるかもしれないので、韓国語をこねくり回してみます。

 

韓国語学習で使っているアプリを下記に紹介しておきます。

無料期間などはなくて、1)月のサブスクか、2)年間のサブスク、3)買い切りの三つだけ。

1)3,000円

2)9,800円

3)300ドル(45,000オーバー?)だった気がします。

 

無料お試しができないのが辛いところ(もしかしたらできるかもしれませんが、私は見つけられませんでした)ですが、かなりオススメです。

 

 

学習についてはこのくらい。

もちろん、韓国のビールを楽しむことは忘れていません。

 

 

これは、釜山。
ソウルからKTXだったか高速鉄道で、2時間30分程度。料金は片道7,000円。各駅停車のスウォンーソウル間が300円くらいなので、値段設定バグっていると感じました。

 

ちなみに、噂通り本当にどんなところでもカードが使えるので、現金はまだ一回も使ってません。

 

 

韓国語学習を始めたら

しばらく韓国で仕事をすることになったので、韓国語の学習を始めたのですが。

 

ハングル文字のルールを覚えることに1ヶ月費やして思ったことは、日本語とよく似ているなということです。

 

すごく雑に書くと、

お会計お願いします。という韓国語は

ケイサンヲチュセヨ。

計算?

 

「はい」は、「ウン」ですし。

文法ルールはほとんど日本語ですし。

 

詳しくは書きませんが、やっぱり九州と朝鮮半島って。。。。

 

それはさておき。

恒例の、新しい言語を学ぶとこれまで学んでいる言語のレベルが上がる説は、ここでも健在でした。

 

今、メインで勉強している言語は英語とスペイン語ですが、二軍の学習言語を話している自分の夢を見たりします。

 

本当に不思議。

 

そして、韓国語を学び始めた頃から起こっている不思議現象がもう一つ。

それはよく忘れ物をするようになったこと。

年齢のせいもあるかもしれませんが、直前の記憶よりも長期の記憶の方が優勢になっているような感覚です。

 

よくそんなことを覚えているね? と人から言われることが多くなり。

直前のことをすぐに忘れる。

 

とはいえ、2019年から始めた言語学習も今年で7年目。

自分の言語レベルがどれくらいなのかを考えると凹むので、のんびりと言語の旅を進めていこうと思います。

 

言語学習に対する現在の仮公式。

(使った時間+願望の強さ)× 信じる心 - 間違うことへの不信

 

1、方法論よりも、費やした時間のほうが重要だと感じます。

圧倒的な量は質を凌駕し、さらに質の向上も叶えてくれます。

週に10時間はマスト。1日に換算すると、1.4時間。

この方法がすごいではなくて、何かをずっと行い続けることの方が重要。

 

2、こうなりたいと願う力の強さは、初期は必要。

 

3、そうなれると信じる力が足りないと願望や時間があってもだめ。

 

4、そして、言語を学ぶと忘れる自分や間違ってしまう自分と付き合うことが必須なのでその自分を「そんなもんだ」と許容しなければならない。

 

 

 

 

 

どう足掻いても。

桜のシーズンは、今年もあっという間にやってきてあっという間に過ぎていきました。

それが桜。わかっていても。

 

今年は、なぜか急に日本に住んでいる海外の人々と知り合うことができたので彼らと花見をしました。そこでいろんな国の人と話をしながら片言の英語で会話をしながら思ったこと。

 

どう足掻いても、無理。

日本人の友人が海外の人々と流暢に話しているのを見て、ああなりたいという願望よりも、

 

「あ、これはどう足掻いても無理だな。」

って諦めのような感覚になったのです。

でもこれはネガティブな側面ではありません。

 

理解したい、もっと流暢に話したいなどと英語のトレーニングに充てる時間はどこかにその対価を設定しています。私の場合、ペラペラに話したいとか、英語の字幕でドラマや映画を見たい。とか。

 

でもそれって、“本当に”私が望んだ結果なのでしょうか。

 

多くの人が英語を勉強するための“動機”や“結果”を設定しているかと思います。そこで、私のきっかけを思い出してみたのですが、それは“海外でビールを飲むなら、英語は話せた方がいい”でした。確かに動機は重要だと思います。

 

でも最近それが、なんだか合わないというか。

そんな感覚になっていたのです。

 

そんな中で、「あ、無理だな」これはまあまあ面白い体感でした。

 

話す“ため“には、話す練習が重要かもしれません。

もっと理解する“ため“に、ひたすらリスニングをした方がいいのかもしれません。

でも、それって一体なんの“ため“なのだろう。

 

例えば、もっと流暢に生きる“ため“にもっともっと睡眠に力を入れなければ。とか、もっといろんな料理をできるようになる“ため“にレシピを学ばなければと思っているでしょうか。

 

自分が守りたかったもので、ガラガラと崩れて、残ったもの。

 

言語の学習を学習という位置付けから、人生の隣に移動させるしかない。

 

具体的には。

 

朝起きてから、英語の音声をスイッチオン。イヤホンをつけながら、料理する時も、トイレに行く時も、移動する時も、常に耳に英語。

 

聞き取れるようになりたいという欲求は限りなくゼロの状態で、息をするかのように耳に英語の音を流し続けます。そのために、ワイヤレスのイヤホンを2個体制にしました。1個が7時間連続再生なので、起きている時はほとんど全ての時間です。

 

それを続けて、次に起こったことがあります。それは、

 

ドラマの下に出てくる英語の字幕をオフにしたくなった。

 

下に字幕が出ていると、どうしても画像全体を見るのではなくて字幕ばっかり追いかけます。その人の表情やジェスチャーにはあまり意識がいかず、字幕を見て理解しようと脳がはたらいているのを感じました。

 

なので、字幕を切りました。すると、視覚は字幕からはなれ登場人物を注視します。そして耳への依存が増えたように感じます。

 

「ねえちょっと待ってよ、それなくない?」のような字幕を読んでその意味を理解して登場人物を見るのではなくて、登場人物が両手を上から下に振り下ろして、眉毛の端を下げて相手に向かって叫ぶ状態を感じることができます。

 

思い返すとこれと同等のことが、花見で日本在住の外国の人々と話しているときにも起こっていたわけです。

 

相手の表情を見ながら、今話していることを考える。

こういうことを言いたから頭の中で考えてという時間が無い分、相手の表情とフレーズをかなり意識している状態です。

 

このとき、理解し“たい“、伝え“たい“という意識はどこかに消えてしまい、「へーそうなんだ」って思っている自分がただいるだけでした。

 

これが、「どう足掻いても」の意味です。

 

何をどうしても英語の上達なんて無理というネガティブな意味で“どう足掻いても“ではなくて、そっか何か特別なことはしなくてもいいのか。という感覚。

 

そこから、英語のドラマを見ると。

 

わかっている単語だけ拾って、今はこのような話題について話しているのかも。という予測ができるようになってきました。字幕がないからなのかはまだ不明ですが、各々のカットで物語の進行がわかっていくのを追っているからかもしれません。

 

そのトレーニングの結果を期待しないというのは過激な言い方だと思います。

 

意識を外して、無意識に行動できるまで日常に溶け込ませる。という言い方でしょうか。

 

時間を費やしたから結果が手に入るという期待感でもありません。

 

「このさき、どうなるかは“わからない”よね、結局」みたいな境地です。

 

海外旅行がキャンセルになったことも影響しているのかもしれませんが。

 

江戸時代の日本人の言語力研究。

ターニングポイント再び。

ヨーロッパ旅行に暗雲が。

いろんなことが起こるこの世界なのであんまり驚かないのですが、まさかの紛争発生。

私の中継地は思い切りその影響を喰らっており、現時点でも目処が立っておりません。

JALは3月22日までは、ドーハ空港へのフライトは中止だそうです。

 

ま、足掻いても仕方ないですからね。

様子を見守ろうと思います。

 

**

 

さて、これまで言語学習を趣味でおこなってきた私が、今年思うこと。

 

時間が必要なのは当然。

毎日何時間も練習したからといって、その時間通りに成長することは少ない可能性がある。

 

最近この世界は、断言していいと思うほど知る人と知らない人の世界です。

知る人は、知らない人に価値を提供することができます。と思わされています。

知る人が提供する知らない世界。それがデジタルで動画になったものが、Yで始まる動画サービスです。

 

しかしながらこのサービスが盛り上がっているにも関わらず、日本人の外国語の習得率は全く変化がありません。らしいです。勉強する時間を動画の視聴に費やしてもスキルが上がるのは難しいと思うわけです。

 

そして。最近思い出したこと。

なぜ、江戸時代の日本人に外国語堪能な人がいたのかということ。

ポッドキャストや映画の字幕などがない時代に。

 

教育業界って、過去を否とし未来を是とする傾向にあると思います。

AIによる言語学習の新基軸とかよく本に出ています。

 

でも、本当に大切なことは普遍の何かがあるような気がします。

 

効率重視だったり最短を謳ったり。これって単なるマーケティング用語なだけで、私の知り合いの言語堪能な人は声を揃えて時間が必要だと言っていますし。

 

それに。今の日本人ってなぜかやたらと隣国の古典をありがたります。

それは江戸時代からそう。

 

日本にはまるで何もなくて、思想は全部隣国からきたものというような。

江戸時代の人たちも皆、隣国の本をありがたく読んでいたと教えられている。

 

でも。

 

思想って、本とか語り継がれたものが全てなのでしょうか。ずっと争いが続いてて、争いの中で敵や味方を想定した思想と私たちの國體(こくたい)は一致するのでしょうか。

 

あらゆる考えの良いところを受け取るという思想の人もいました。

 

しかし、私は思います。

自然に、知と無知があるのだろうかと。

人間だけが、学ぶことを推奨しています。

もちろん、“知”は、武器になります。

 

しかし、“知”は、大自然に勝てるのでしょうか。

 

これだけAIやテクノロジーが発展した世の中で、5分後の地震すらも完璧に予測できない現代が、果たして自然や地球に勝ったと胸を張っていいのでしょうか。

 

とにかく。

 

現代の教育界は、知るものと知らぬものが明確に分けられていて気持ちが悪いです。

 

それをどう変えていくのか。

これは私の2026年のチャレンジかもしれません。

 

トライエラーの先に、答えがあるのか。

それともさらに深い問いがあるのか。

 

2026の展望について。

 

まず、ビールの話題から。

今年で50周年を迎えるサッポロさんの黒ラベル。

さらなる完璧を求めてクオリティアップしました。

 

昨年の12月製造分から変更とのことですが、先月からよく見かけるようになりました。

 

そしてこの黒ラベル、今までも美味しかったのですが、もっと美味しくなってます。飲み口のクリアさも麦芽の旨みも増していて、パッケージの変化は微々でさらっとフルモデルチェンジクラスに味を変えてくるの、さすがです。

 

私は体質的に、サッポロさんのビールの酔い方が好きなのですが、これはさらに酔いが心地よくなっています。海外に行ってもサッポロ信者でありたいものです。

 

ということで、次は海外旅行について。

先月末に今年の海外旅行の代金を振り込みました。

今年は40日間、ヨーロッパを旅する予定です。

 

スイスチューリッヒを拠点に、友達がいる国を周遊する予定です。日本語学校の事業の視察も兼ねて。

 

隔週で言語のトレーニングをしている友達がいるハンガリーのブタペスト、ポーランドは、ワルシャワとクラクフ。スロベニアでは、ビールサーバーがある公園に行きたい。後は、スペインとかイタリア、オーストリアも。

 

と、同時に、日本で文化体験と言語クラスの事業を始めたいと思っているのでその交渉を少しずつ始めながら申請についても学ぶ計画です。

 

空いた時間は、英語とスペイン語の練習に充てて。

 

言語学習については、何が効果的で何が効率的かを一切考えなくなったので、毎日淡々とこなしてますが、友達とビデオチャットすると、言いたいことが浮かんでから英語に変換するターンがまだ続いているので、英語やスペイン語で考えるというターンに少しずつ移行して欲しい。そんな願望はありますが、いつの日かそうなることと信じております。

 

 

変わることを、平気にこなせれば

昨年末、パートナーがスイスから来日しました。

彼女は初めての日本。

色々と張り切って、連れて行く場所などをプランニングしたのですが。

 

思い切り言語の壁を感じました。

伝えたいのに伝えられない。

理解したいのに理解できない。

彼女は日本語を5個くらいしか話せないので、基本的には私が英語とスペイン語を使ってコミュニケーションします。(彼女は母国語がラテンスペイン語)

 

こんなにも言語によるコミュニケーションが難しいのかと毎日が悔しくて。

 

ポーランドに行った時に、カタコトのポーランド語と英語でこなしていたと思っていたのは完全に錯覚で、私はただフレーズを完コピしただけで思考は日本語のままだったのかと思って愕然としました。

 

しかし、コミュニケーションで言語を使うマストパターンは少し理解できました。

例えば数字。今回最も使ったのは数字に関するものでした。

 

今日の気温。

電車の待ち時間。

歩いて駅まで行く距離と分。

何駅先で降りる。

 

など。

30くらいまでは最初に覚えておいた方がいいと思われます。

 

次に、代名詞。

これ、それ、あれ、どれ。

「あれは、日本でとても人気」

と伝えたいのに、代名詞がわからないと厳しい。

「あれは、違う」

とか。

 

そして、会話の始まり。

ねえねえ、見て!

そういえば知ってる?

とか。

 

これらの単語ってすぐに覚えられるのですが、言語を学ぶことを難しく考えすぎて、仮定法とかに自分が再び迷い込んでいたことを猛省しました。

 

スペイン語の、「そういえば」すら知らなかったなんて。という感じです。

 

ここはとても人気の場所なんだ。

が言えるのにコミュニケーションができない理由。

リアルな会話も型になったらそれはリアルではなくてフレーズ丸暗記になってしまうから。

 

会話って一行で終わることはありません。

相手が行ったことに対して考えて返答します。

だから型をどれだけ覚えてもその型が使えない。

では、どうすれば。

 

初日からずっと考えて考えて。

2、3日目後から、一番使ったフレーズはこちら。

 

“Cómo se dice en español ”

 

です。

意味は、“スペイン語でどう言う?“

 

あることを伝えたいけど、スペイン語の言い方がわからないから教えて。

英語で伝えた後に、これを言う。

このパータンでたくさんの活きたスペイン語を知ることができました。

 

もう一つは、シンプルにすること。

 

この味についてどう感じる?

ってネイティブの日本人は使うことは少ないです。

二人でものを食べるときには、「どう?」で済みます。

「美味しい」と回答が来たときに。「私はそれを聞いて嬉しい」とは言いません。返事は「よかった」です。

 

そんなこんなでなんとか10日間の日程を経て、彼女はスイスに帰っていきました。

そして今年は私がスイスへ行く番。

 

今年環境が大きく変わるのを前にして、

ものすごくビビっています。

変化なんて大丈夫だよって、思っているはずなのに。

実際は、全然大丈夫じゃない。

 

でも、なんとかしようとも思っていません。

めっちゃビビってるやん。って自認して何もしない。

前なら、強い自分を手に入れる。

って思考になっていったはず。

変化を楽しむ。でもない感覚。

変化を楽しむって、暗示ですし、自然でも無理にでも暗示は良くない気がします。

 

変化を楽しもうとリキまない。

変化を拒絶もせず、受け入れようともしない。

平然とか平気とかに近いかもしれません。

 

信じることよりも、想像する方が。

 

多くの争いの原因は、信じることかもしれません。

 

信じることが自分の未来を創造するというのも真実かもしれません。

 

歴史の中で起こった出来事は本当の出来事ではないのかもしれません。ただそれが多くの人の共通認識なだけで、それが真実かどうかなど私たちにわかるわけが有りません。あくまでも、そうであったのではないかという確証をあげていく作業であります。

 

という思考の変化を伴い、「自分には必ずそれを達成することができる」と信じるのはとても異文化的だと最近強く感じます。

 

これは、私の直感であり真実かどうかはわかりません。しかし、過去の日本人は個人がどうのとかを考えずに、天の采配に全てを任せていた可能性があります。現在の日本に、おかげさまという考えは少なく、あくまでも個々の才能がとか個人の成功こそが全てと考えている人が多いような気がするのです。

 

相手のことを鑑みる思考が減って、とりあえず今と俺たちだけ楽しけりゃそれで良くね?

って考えてそうな顔の人が増えている。私の目にはそう映ります。

 

今の私は、何も信じていない気がします。

自分の才能も、自分の未来も。

 

信じるのではなくて、全て自分以外の計らいに任せる。

 

だから信じる必要は無く、自分の未来のことを想像してあとは何かの力に委ねることができます。それはそれぞれが想像する自分のサポーターでいいのではないでしょうか。

 

うまくいくと信じるのではなく。

 

うまくいくことを想像してはいるものの、あとは自分以外の話だと割り切る。

 

毎日、外国語を学んでいるものの、絶対話せるようになると信じない。

 

話せるかどうかは神様の計らいですから、毎日の日課をこなして行く。そして話せることを想像する。信じてガチガチにならないのでものすごく軽い。

 

我々が信じているものこそが全てであり、それ以外は排除すべき。

 

この思考回路が西洋的であるなら、今のどこかの内陸国もその流れに沿っていると想像できます。

 

奪うことでしか自己を守れない。

 

相手より優位に立つことでしか自己を保てない。

 

もうそんな世界は、終わりにしましょう。

 

とはいえ、それは私がどうこうするのではなく。

 

しかし何か「善き事」が起こると想像できるわけです。

 

信じることを放棄して、想像してあとはひたすらに委ねる。

 

自己を滅するっていうことかもしれません。

 

この思考は言語学習に於いての強みだと想像しています。

 

2025年末。

 

善き世界を想像し。

 

“効率的な勉強法“を探しているうちは、本気ではない。

最近、自分の英語の音がアメリカンではなくて、ブリティッシュな気がするということを友達のハンガリー人に言ったところ彼は自分がブリティッシュの英語を話しているからでは? という返答が返ってきました。

 

そういえば、と思い当たるところとしては、今年の3月に観た映画で「Better Man」の主人公の話している英語を聞きながらなんか聞きやすいと思ったものでした。英語だけど英国的英語と米国的英語は全然違います。

 

英国は、かたい。音と音をはっきりと発音するので単語が聞き取りやすい。

米国は、ゆるい。ミックスして話すので滑らかですが、ガチのネイティブの発音は言っていることがわからない(聴き取れない)ことが多い。

 

ということで、ダウントンアビーを見始めました。

 

音の違いを日本語として書いてみるとこんな感じ。

For example 

これ、米国だと、フォーイグザンポー って聞こえます。

でも英国だと、フォーイグザンプル って聞こえます。

 

この違いに気づいた時の私の感動はここで言葉にできないほどでした。

そんなに違うのか! と英語学習を始めた時にはこんなことを理解できるとは思っていなかったからです。

 

**

 

時を同じくして、ある日。私は、勉強していた吉田松蔭先生の本に書かれていた文に衝撃を受けます。

 

それをご紹介します。

 

“もし私たちが明日死ぬ運命だとして、それでも今この時に読書を行い学ぶという行為が本当の学問だと思う“

 

吉田松陰先生が、ペリーの船に乗り込もうとして捕まり投獄された時に、金子重之助という門下に言ったとされるセリフです。

 

英語を話したい。理解したい。

もちろんこれらの目標とか目的は重要です。

しかしそのために行う行動と、行き先がなくても毎日行う行動だとどちらが行動の純度が高いのでしょうか。

 

そんなことを考えた先に。

とりあえず、毎日2時間は外国語を勉強しよう。

そして、素読と追唱をメインに学ぼう。

と完全に勉強のスタイルを固定しました。

 

そして。

これを始めてから、不思議なことに自分の人生の見え方も変わってきたのです。

 

手を抜かずに。1日15分だけとか、こうすれば効率的に学べるという書籍や広告をスルーすることに加えて、外国語を話したいという欲求すらも消えたのです。

 

話したいという欲求が消えたというより、今していることに集中しているのでミライのことを気にしなくなったという言い方がより正しいかもしれません。

 

さらに、仕事の中でもうまくいかないことにかなり冷静に対応できるようになりました。

うまくやりたいという欲求が消えたからだと思います。

うまくやるより、一生懸命にやる。

 

なぜ、江戸時代に外国語を話せる人が、多かったのか。

ポッドキャストや、YouTubeのない時代に。

 

今の私たちが満たされていることは確かですが、満たされているが故に自分がどうしても成し遂げたいものという、彼らの時代で言うところの、“志”が無いのかもしれません。と、全ての方法論は費やした時間という圧倒的な存在に勝てることはないと私は今確信しています。

 

こんなことを何年続けても、学び方が悪いから英語を理解することはできない。

というのは、広告であり、真実ではありません。

 

毎日2時間、外国語を目標や願望を抜きに学ぶと。こんな感覚になります。

自分の人生の中で睡眠や食事、そして仕事以外の自由時間の中で最も大事なのが、学ぶ時間でありそれをまず確保しなければならない。

 

より一層、来年の海外視察が楽しみになってきました。

 

**

 

独り言。

いまだに多くの人が、中国の古典を大事にしています。

古典は大切ですが、ちょっと異常。

ギリシャ、ローマ。縄文。この時代の思想も大事なはずなのに。

仏教伝来の時代に勃興した文化。そして、聖徳太子とか蘇我。

のちの天下の中枢に現れた、物部、藤原。

 

そして出来上がった、「日本書紀」と「古事記」

 

私の地元には、大和王朝と戦争した「磐井の乱」の首謀者のふるさとがあります。

今の日本の歴史って一体。。。

 

そして、今年初めに訪れた「壱岐」が約一年後に私に何かを訴えかけている。

今そんな感覚です。

 

「世界をもう一度、繋ぎ直せ」

 

のような声が。

 

仏教でも儒教でも陽明学でも朱子学でもない、神道でもない。

もっと昔の「何か」について。