ビール、チェコ語、ポーランド語

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【チェコ語学習】言語学習に関する小難しい話。

チェコ語学習日数173日 ( 5か月と21日)

Dobré ráno. 

 

今日のメインは、チェコ語の話ではないのですが言語全般について。

 

私は英語が苦手でした。

それは学校の教科として英語が苦手だったのでしょう。

 

先日、チェコ語の学習でなぜか英語の聞き取りが格段にアップしたことを体感したと書きました。

 

 

iwairyoui.hatenablog.com

 

 

ここ数日、言葉とコミュニケーションの意味について考えていました。そんな中、言語学習においての見落とされていることを、英語の音声と字幕で映画を観て思ったことがあります。

 

ちょっと小難しい話ですが、この時点でこんなことを考えていたんだと3年後に見返すために記録。

 

錯覚

 

まず、こちら。

言語とコミュニケーションには本来正解がないのに、言語学習にはまるでコミュニケーションに是非があるように感じさせる部分がある。ということです。

 

自分の感覚か、そのような情報があふれているからか…

できていない人とできる人が明確に別れており、ダイエットの広告にも似ています。

 

ほとんどの人は自分ができないと思い込んでいます。無意識に。

だからできる方法を求め彷徨、そこに広告が入る。うまい仕組みです。

 

チェコのサイトを観て感じる日本との違いは。

 

日本:何かができない? ならこちらをどうぞ

チェコ:今より健康をアップするために、このような方法はいかがですか?

 

次に、学習全体が課題になっており、さらには能力と点数が紐付けされていて、学校教育と同じように能力とかスキルが重視されている。

 

私は教育者ではありませんので、日本の教育に何か提言したいわけではありません。しかし、どの時点で、英語を使いこなしていると判断するのか。同様に、どの時点でチェコ語を使いこなしたと判断するのかは個人の判断に任されていると思います。

 

学歴・検定や資格の取得有無・英語の試験の点数で給料が決まったり採用が決まったりする時点で、現代社会は人を信頼する基準を見失っていのではないかと感じました。

 

話が逸れましたので元に戻します。

 

ニュアンス理解の幅

 

英語の音声で映画を見たときに、下に字幕が出ます。

 

昔であれば言っている意味がわからないから、字幕に頼っていたわけです。しかし、今では、ほぼ字幕は見ないで話している単語からその場の状況をある程度理解している自分がいました。また、字幕は話の流れを汲んでニュアンスで記載されていることを体感しました。

 

具体例を出すと。

追われている主人公とヒロイン。

道が二択になっています。

 

そこで、ヒロインが主人公に言うわけです。

「we try?」

字幕には「どっち?」

 

またべつのシーンでは、あるキャラクターが言うセリフに「お前に言っておく」と字幕。でも、聞こえた単語のニュアンスは、「あなたは理解していない」でした。

 

確かに、「あなたは理解していない。だから言っておく」は同義です。

 

チェコ語は、英語や日本語と違い、状況設定の細かい言語だと思います。

日本語にも似たニュアンス理解が求められる言語のような感覚があります。

 

字幕に頼らない映画鑑賞にこれだけのニュアンスの幅があるのなら、日本語への変換をしなくなったとき、その言語の本当の面白さを体感できるようになるのだと思います。

 

あと、これは、精神論の延長かもしれませんが、脳は基本錯覚で生きています。

 

私は、英語が苦手だと、思っていました。

それは、過去の成績から導き出された記憶がメインです。

思っていただけです。

現に、苦手だと思い込んでから現在まで英語を学んだことはありません。したのはチェコ語の学習で英語ではありません。

 

チェコ語を学んでいる中で、英語の聞き取りが飛躍的にアップしたのにどのような因果関係があるのかはわかりませんが、一個明確なのは、

 

日本語への変換をしなくても、日本語の意味が理解できない(日本語に変換ができていない)だけで、その言語のフレーズを、私は理解している。と思い込んだことです。

 

禅問答のようですが、日本語に変換できていないだけで、その言語のフレーズを聞いて理解している(脳のどこかで)のは事実であり、このことを理性の脳では否定できないわけです。

 

いや、理解していたら既に日本語以外の言語を話せるだろう。と理性は反論しますが、話せることと理解していることは、別の話です。

 

それは幼児が教えてくれます。

 

私の脳が勘違いしていたのは、

「理解できない=日本語の意味がわからない」

だけで、それを完璧に壊した

 

 

これは感覚なので、何の証拠もありませんが、私が英語の聞き取りがアップしたタイミングは、このことに気付いてからでした。

 

そして、チェコ語の学習においても日本語に変換しないと決めてから、脳が猛烈に何かを吸収しようとしているのを感じます。

 

最後に極論

 

日本語に変換して学習する方法は、実は遠回りではないか?

 

人間は、言語学習に限らず意味を知りたい動物です。

これにはどんな意味があるのか。

人生には意味があるのか。

彼(彼女)が言った言葉にはどんな意味があるのか。

こんな学習方法に意味があるのか。

 

脳から、意味を求める思考を無くして、新たな錯覚(もう知っている・理解している)を植え付けたら??

 

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