チェコ語学習日数171日 ( 5か月と19日)
Dobré odpoledne. こんにちは。
昨日の記事で、脳内がクラッシュ(いい意味で)してから
今日の朝起きてからすっきりとしました。
ちょっとした記念日かもしれません。
180日程(約6ヶ月)コツコツと学びを続けながら、あれやこれやとチャレンジしてきました。
日本語として理解できる単語を増やそうとしていたことや、文章を読んでも理解できないことに、ストレスが発生し、それに伴ってもっと理解したい願望がストレスで弱った心に追い討ちをかけていました。
少し哲学的ですが、現時点で感じていることを記録として残します
まず、私たちが理解しているとはどのようなことを指しているのかを考えました。
日本人同士でも、話が食い違っていたり、話している内容が理解できなかったりする事象が存在しているのはなぜだろう。
言葉を使ったコミュニケーションのプロセスを深掘りしていくと。
1)言いたいこと(伝えたいこと)がある状態
ー対象が自分:独り言、思考
ー対象が相手:会話
ーその他:書く、タイピング
2)話を聞く(見る)状態
ー対象が相手:相手が私に伝えたいことがある
ー対象が物:読書、ブログ等
大きく分けるとこの2つの状態かなと思います。
理解するとは、日本語を知っていることとはあまり関係ない気がします。
例えば、幼児が泣いていると、私たちは、お腹がすいたのか、おむつが気持ち悪いのか、眠いのかと、3パターンを想定します。
片言の日本語を話す幼児は、自分の言いたいことを、簡単な言葉で伝えます。
「トイレ」とか。すると、単語だけを聞いた私たちは瞬時に理解します。
いちいち、トイレの意味や幼児の状態について考えないわけです。
「トイレとは…」「この子は今、どのような状態か」など。
それなのに、言語学習をしていくと、なぜかここのあたりに時間を費やします。
語彙を増やして、日本語として理解できるチェコ語が増えていっても、チェコ語を全く理解できない。それは必死に日本語の意味を考えているからではないかと。
幼児の例をチェコ語に当てはめると、チェコの居酒屋に行き、ジェスチャーで、グラスを飲む仕草を相手に示すことで、相手は「ビールが飲みたいのだな」と理解します。
そして、私は自分の言いたいことを言葉を話せなくとも達成したことになります。
|私は、今ビールを飲みたいと思っています|
これを思いついて、さて、これをどのようにチェコ語にするか。
頭の中に、この日本語に対応するチェコ語を引っ張り出してくる。
えっと、私はだから já か。と。
でも、先ほどのジェスチャーでは、ビールを傾けた仕草で伝わった。
ならば、伝えたいことの核は「ビール飲む」です。他の単語はいらない。
簡単な言葉で伝わる。
そこに、今? 明日? 1人で? 誰かと? の単語を頭に詰め込んでも脳は全く覚えてくれません。
どう言うか、ではなく。
何を言うか、言いたいか。
で、できるだけシンプルにチェコ語をチェコ語のまま脳にいれる。
おそらくそうすることで、チェコ語→日本語変換の思考回路(6ヶ月でもうかなり出来上がっている気がします)を完全に断つことができるかもしれません。
この感覚を懐いてから、チェコ語のオーディブックが違うように聞こえ始めました。
聞いたチェコ語を日本語の意味にしようとせずに、聞こえた音を、そのまま相手(話者)の伝えたいこととしてを脳全体が受け取ろうとしているからだと思います。
違う表現をするなら、日本語理解できるチェコ語と理解できないチェコ語を選別せずに、全ての聞こえてくるチェコ語を丸ごと受け取っている感覚でしょうか。
脳って、自分(意識)のスイッチ次第でその機能を変えられるのかもしれません。
脳が定着するまで繰り返そうと思います。
で、この感覚で今後どうなるのか、定期観察していきます。
krásný