ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

自分の物語を、忘れない

気持ちが先行して、前のめりになっていくと自分の自然体から離れていくため、心身ともに疲労が溜まっていきます。

 

30代で投資をしていた時、ずっと心に張り付いていた稼ぎたいという思い。この思いが間違いだとは思わないのですが、それによって本来のパフォーマンスが落ちる可能性があるのは確かです。

 

特にFXのデイトレードなんてやっていると、気が休まることなく為替にフラフラと自分が持っていかれていたような記憶が。

 

今は、チャートと分析を見て、ここで買ってこの価格になったら売るって決めてあとは放置。

 

「自分の感覚を信じる」という表現、至る所で見ますが、私は自分の感覚は最近あまり信じていないくて、決めたことが間違いの可能性もあるし、正しい可能性もある。けどどちらでもいいではないか。という風に考えることができるようになってきました。

 

言語学習も最近は似たような感覚になっています。

 

前は早く英語とかチェコ語とかを話したくてしょうがなくて。けど、何をやっても成長を感じられなくて、はやく話したい! が、稼ぎたい! のようで、自分の欲求全開でした。が、今は費やした時間は絶対に裏切らないので、自分の感覚よりもそっちを信頼している気がします。

 

なんでこんなこともできないんだ。って裏を返せば、自分を過信しているから発生する思考な気がしていて。今はできなく当然だけど、いつかはレベルアップすると知っていると自分の意図を手放すことができて楽です。言い方を変えると、自分を信じるのではなくて、自分がしてきた行動の先にある未来に確信がある。まあそれが、自分を信じるということでしょうけど。

 

なぜそんなことを思ったかというと。

 

児童書で「ライラの冒険」シリーズがあって、その映像作品を見ていて感じたことがきっかけ。

 

抜け殻みたいになった人は自分の物語を忘れている。誰かが物語を聞かせることで、自分たちも物語を思い出すことができて、そうすると生きている実感が湧く。そういうパワーを持っていると、悪が介入することができなくなる。みたいなニュアンスのシーンがありました。

 

自分を誰かの物語の登場人物から、自分の物語の主人公に変える決断をすると、面白いように人間関係が変わっていきます。この時、多くの人が美しく並べられた言葉を言います。誰かをよろこばせたいと思う気持ちは大切ですが、自分を犠牲にしてまで喜ばせる相手はいないと思います。

 

ビールが好きで、チェコ語やイタリア語を学んでいたら、言語学習そのものが好きになって、ポーランド語を学んでポーランドに行ったら、大好きになってしまったという物語は、多分世界中でも少数派だと思います。

現に、ポーランド人が、あなたはクレイジーというくらいですから。でも、日本のことに興味を持ち、狂ったように日本語を学んでいる人たちも多く、日本語をマスターしている人もいるので、あくまで普通の感覚だと思うのですが……

 

人生の目標も、いつの日か、何か起こるやろうし別に自分でガチガチに未来を決めなくても良くないか? と思うこの頃。

 

基本プランはあるけど、細かいプランはノープランの方が、いい気がしております。

 

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4月は、ポーランド語学習を1日3時間以上しようと決めて、明日から5月。

 

日本語に訳しているような

ポーランド語のフレーズのまま理解しているような

ポーランド語文法が身についてきたと感じるような

 

に 日本語 

の ポーランド語

を 証拠

 

この文字の並びに慣れてきたというか

 

英語も、イタリア語も、チェコ語も、ポーランド語も基本はこのスタイルです。

 

してくれない 私に あなた 交換 タイヤ

 

だから本来は、日本語に訳することができないはずなのです。

 

そういえば最近、あれって感じたことですが。ずらっと並んだポーランド語のフレーズ下に日本語訳が書いていあっても、「んー私なら違うニュアンスだな」って思った感じてあれ?でした。

 

6月にワルシャワで日本フェスティバルがあると聞きましたが、今年は行かないので来年6月、ポーランド再訪かなーと予測していますが、未来は予測不可能なので、ぼんやりと計画していきます。