写真は、グダニスクに行く途中のマルボルクで撮ったポーランドの世界遺産、マルボルク城です。
旅行記の間で挟んで、言語について感じたことを記録します。
私が、海外に行っていたコロナ前は、英語も他の言語も全くわからず、翻訳機能と、ジェスチャーで乗り切っていて。それでもまあまあ楽しかったのですが。
言語って、スピーキングが大事だよ。とか、語彙力だよ。とか、耳にします。
でも、精神論見たいですが、実際はただの勇気だと思います。
勇気と打たれ強さ。というか図太さ?
例えば
ワルシャワ空港からホテルに行くまでの、電車に乗る時。乗っていた電車が不安だったので、駅の職員に聞いた話は前回書きましたが、この声をかける瞬間が一番勇気が必要です。でも、こちらとしても全然違う場所に行くわけにもいかないので、天秤にかけるわけです。この場合、間違ったらとか恥ずかしさとかはどっか行ってて。
ポーランド語はカタコトですし。英語で聞いたものの。
ワルシャワ駅に行きたいんですが、と言った時の、相手がする仕草。よく見る海外のドラマで、両手を広げて、肩をすくめるやつ。リアル。
どのワルシャワだ?(たくさんあるんだよ)
ワルシャワ中央
ワルシャワツェントラルニーって答えた記憶があります。
そしたら、その駅員さん、this train だけ。
反対側に停まっている電車を指差しながら。
まじかよ、でも教えてくれてありがとう。
という不思議な感覚を覚えます。
PKP(高速鉄道)で、ワルシャワからグダニスクに行く時も。
どこから乗ったらいいのか、確信がなかったので、手当たり次第に声をかけます。
すると、声をかけないでくれよ!ってポーランド語でご婦人にキレられたり。
ああ、ごめんなさい。これはポーランド語で言いました。
もうこのさいどうにでもなれって、自分が予測する電車の車両の前で待っていて。
近くにいた男性に、ソーリーサーって言いながらチケットを見せて、英語で質問しました。
これくらいのポーランド語は話せるはずなのにとなんだかすごい自己嫌悪に陥りつつ。
そしたら、この車両で間違いないって答えてくれたので、やった!って乗り込みました。
乗り込んだら、車両の中でお父さんと小学生低学年くらいの二人があたふたしてて、どうやらコーヒーをこぼしたようで。
ティッシュを持っていたので、差し出しながら、「どうぞ」ってポーランド語で言えたんです。
乗り込めた安堵感からか、ポーランド語が出てくるという。
このような状況を経験して、二日目には海外ってこんなだった!を思い出すのですが。
言語って、誰かに声をかけることですごくレベルアップするという事実。
最近流行りの、AIも素晴らしいですが、そんなゆるい環境ではないので。
後5分で電車来るけど、どうする?
とりあえず、いろんな人に声をかける。
このサバイバルで、脳が覚醒するんです。
豆知識ですが。
ポーランド人も含め、外国人はジェスチャーが大きいので。
ワルシャワでも同じで、声をかけた相手が嫌だったら、両手を顔の横まであげて、降参のポーズをしてくれます。
OK、przepraszam.
で、次に行く。
めんどくさいなという顔をされても、こっちも必死なんだという気持ちで乗り切る。
自分の目的と、知りたい情報を明確にする。
そうすると、ポーランドのコンビニの店員なんかものすごく平和に感じるんです。
挨拶して、商品を置いて、カード? 現金? って聞かれるので、現金って答える。
多分、ポーランドに着いて半日で20人くらいに声をかけています。
自分の英語力、自分のポーランド語力がどんなものかなんてあんまり重要じゃなくて、声をかけられるかどうか。言語って実はそんなものじゃないかなって思ったのでした。
帰りの飛行機では、隣に座るであろう人に声をかけて荷物を上に収納したりと、数日前とは別人のような自分がいました。
ところが。
これは海外に行かないと実現できないシチュエーションです。
日本にいながらこの状況をどうすればいいのか。
日本にいる外国から来た観光客に声をかけるのも良いかもしれません。でも、サバイバルの状況での脳の覚醒でいうとNGです。日本にいるわけなので、日本語を話す私たちがマウントをとっているから。
この辺り、もっと深堀すれば、なんとなくビジネスになりそうです。
するなら、日本じゃなくてワルシャワに移住してやりたい。