ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

非人称文の過去時制って…


前回、私が学生の時に英語が嫌いだった理由を書きましたが、もう一つ理由があったことを思い出しました。

それは、言語を学ぶ間口を教える人が狭くしているのでは? ということ。

言語を学ぶための言語学習用の日本語から学ばなくてはならない。

そんなものだと、ずっと思ってきました。この4年間。教わる身、教える身には、決して相入れない溝があって、私たち学習者はその人たちが言うことを信じ学ぶしかないと。

でも、何か違和感が。何かが違う。

言語とはそんなに肩に力を入れたり眉間に皺を寄せて行う受験勉強のような物ではありません。
楽しむ事が一番だと言う人もいます。しかし、じゃあどうやって楽しめばいいのか。楽しむ方法は語られず、とにかく楽しみなさい。と。

これは、「気合いで!」と言う論調にも似ていて、スイッチを付けなさいと言われているものの、スイッチの場所を教えてもらえずに暗闇で右往左往するような。

ただひたすら毎日行うことで少しずつ進歩する事ができると、私には確信があります。私はもともと言語学習に対しては、そこまでのモチベーションを持ち合わせていなかったのですが、絶対海外でビールを飲みたいし、その時にその国の言語で注文できたら最高だ。日本に来た外国の方が、日本語話してくれたら嬉しいじゃないか。と、いささか無理矢理な目的があったから続けられた事です。

だからまずは、ビールの注文方法を覚える。
これが私の全ての言語学習に共通するスタートです。

話を戻しますが、ほとんどの参考書が、急に難しくなるか、学習者を置いていきます。
文章の定義が不要とは思いません。でも、一般動詞の合成未来。と言われてもなんのことかさっぱりです。
スラブ語は、格変化するので日本人の感覚を捨てるのにだいぶ時間がかかったのですが、次は、動詞の不完了体と完了体があって、前者は単に動作を名指ししたり動作の反復や経験を表現するときに使われ、後者は動作のなんとか全体把握を有する。って書かれているのですが、「???」です。

知能が高くない私の結論は…「ああ、だから同じ意味の単語でもつづりが違っていたのか!と言うことは、今まで使っていた、食べるの単語は“完了体“だったのか」

もう一人の私:で、だから何?w

もしも私が、話しながら格変化やこれらのルールを瞬時に考えながら話せるようになるとしたら、それは量子コンピューターに魂を売り渡す必要がありそうです。

今の私がポーランド語の学習でやっていることは。未来のことを言いたい場合、“będę"の単語が多く出てくることをなんとなく理解し。そしてたくさんの例文から傾向を探り、自分でも文章を作ってみる。このように学習すると覚えると思ったからやっているだけですが、効果のほどは不明です。それでも過去に参考書とアプリで学習してきた、チェコ、イタリア、英語に比べて格段に成長が早いような感覚はあるんですよね。

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人が目指す言語のレベルが様々であることを考えると、テキストやアプリも柔軟になる必要があると思います。それは、楽して3ヶ月でという話ではなく。

昨日は雨が降っていたが、今日は降っていない。
それを言いたい時は。
昨日と今日、雨と降る。
の単語を知らなければなりません。

そこから、昨日は過去で、今日は今の話だから単語を変化させなければと考える。

私は、言語ってそうじゃないような気がするんですよね。


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簡単なポーランド語や英語で挨拶をするだけで、周りの人は、私のことをペラペラと言います。
つまりペラペラだって人によって違うから、自分が目指すところを自分で明確にする必要があると思います。

そして、去年の年末から感じていたことを、ここに言語化すると。

一つの文章を、味わえるまで自分のものにしたら、言語力は飛躍する

味わうレベルとは、私が体感している記憶の四段階です。

1、覚えている

2、思い出して使える

3、瞬間応答できる

4、味わえている

覚えている表現というのは、ある文章を見て日本語の意味で理解している状態です。
しかし咄嗟に使うことは難しいです。復習で出てきても、なんとなく単語を並べられる段階。

思い出せるというのは、記憶を辿れば話すことができる段階。
なのでよく海外からきた人たちが、思い出しながら話している段階。

次に、「あ、私日本語でも大丈夫です」と言える段階。
少しの日本語フレーズなら思い出さずとも言えます。

味わうは、その先。言い方を変えると日本人の私が、あるポーランド語のフレーズを自分のものにした状態。

瞬間応答できるレベルを超えて、ひたすら発声とか意味とかをその国の言語で理解する状態。
日本語の上手いタレントで言うと、評論家の誰か(皮肉も言えるレベル)

話を戻します。

味わえている文章が一つでも存在すると、「ペラペラってそう言うことか!」って頭じゃない場所で理解できるので、1000語も覚える必要がないのかもしれないと体感ができます。

学習は全部大切で、削れることはないけれどその優先順位は絶対存在するはずです。だから文法の規則を学ぶことや、単語を暗記するよりも前に、やることがあって。それは、その国の言語に慣れることじゃないかと思うのです。

だから私は、“Chciałbym teraz się napić piwa“を自分のものにしました。この中に文法法則や語彙力は不要です。
単語を並べて文章を作っているわけではないので、これがビール。したいことを伝えるならこの単語なんて考える必要がありません。

そして、これが自分のものになったおかげで
“ Chciałbym zrobić zakupy w supermarkecie“
これは翻訳を必要とせず、意味が理解できます。
意味は“スーパマーケットに(買い物に)行きたいのですが。“です。

で、いますぐに行きたいのなら、
“ Chciałbym (teraz) zrobić zakupy w supermarkecie.

こうして横に展開していくことで、ポーランド語を学び始めて、2週間くらいでレストランに行くのは大丈夫だと感じられるようになりました。

でもこれってペラペラでしょうか? 
文章は10くらいしか知りませんし、語彙力は100くらいです。

ポーランドの大学で論文を発表しようと思っているわけではないので、問題ありません。
そして旅行までの90日でやろうと決めたこと。それは、ひたすらポーランドの文章を見て自分なりに訳していくことです。

ポーランド旅行を決めてから、自分の中でスイッチが入ったようで、これまでの疑問も全部テーブルに出してみようと思っています。
そう言う意味では、ゴール設定は人間をやるきにさせるのは本当だったと言わざるを得ない。“いつの日か海外に行く“からよりピントがあったカメラのような感覚です。

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2024年から、これまで仕事で使っていた、マインドマップをポーランド学習に適用してみました。
イメージからの理解ではなく、純粋に単語で頭の中にイメージを作る練習と、単語の構成を理解するために、似たようなフレーズをまとめたいと思っていたので試しに。