明日で11月。
2019年11月に、外国語を学ぼうと思い立ち、四年が経ちます。
Reborn4歳です。
何かが劇的に変わったかと思えば、自分の想像する機体とは裏腹に、それほど変わっていないような気がしています。それでも、周りからすると、なんかすげーよと言われることがあり、自分の基準としているすごさと周りの差が違うことは明白です。
でも、脳ってすごいなと思うことはこの何年かでかなり体感してます。
何回もここで話していることですが、少し休むと、脳内で整理される話。
寝たらいいという話よりもっと時間が必要です。
私は、あることをきっかけに、6月の初頭からポーランド語を学ぶことにして、他の言語の学習をやめました。とはいえ、ポーランド語の学習は、英語で行うので、学ぶのを完全にやめたわけではありません。
でも、チェコ語とイタリア語は一旦休憩しました。
もう一人の自分がいたら(学び始めの私)多分、ハリセンか何かで叩かれているでしょう。
その解は、いずれどこかでまた繋がるから。です。
私の人生はほとんどが回り道と思いつきで成り立っているのですが、その回り道が意外と自分の中に新しい世界を作ってくれています。
だから、チェコでビールを飲むためにチェコ語を学び始めたことを記録するブログがあらぬ方向に進んでも良いのです。多分言い訳ですが。
ところがです。
やめて5ヶ月経過したこの頃、なぜかやたらと英語の表現がわかったりするわけです。
この前、映画を見ていた時も、こんなに英語わかるの? と驚くレベル。
わかるというか、英語を聞いて日本語に変換していない自分がいること。
字幕なしで映画を見れるというかっこいい話ではないのですが、字幕見ていない自分がいること。前も何回かこのターンがありましたが、よりはっきりと英語の表現が脳内に現れる感覚です。
なんで英語の学習休憩した途端に?
って思ったのですが、ポーランド語の学習を続けていることで、日本語以外の言語をインストールしようとしていることを英語学習者の私が感知して、何か良い影響を受けた。
違う言い方をすると、自分の中に、ポーランド語脳と英語脳、チェコ語脳とイタリア語脳があり、それぞれが刺激し合って、新しい言語を学んでいることを脳内で受け入れたのではないかと。
日本語と、外国語は表現の仕方も単語の使い方も全く違います。
さらに、チェコやポーランドのスラブ系の言語は、単語を変化させて、日本語の「てにをは」を表現します。最初は、なんだそれ? でしたが、ずっと学習する中で慣れてくる自分がいて。そうすると、それは日本語とも英語とも違うと脳内で混乱が起きつつ、それに対応しているのではないかと考えています。
言語と何か、をアカデミックな見方をすると、単語を並べて言いたいことを言うことなので。
Uczę się polskiego. ポーランド語“を“学んでいます
Lubię Polskę. ポーランド“が”好きです
Lubię Polaków. ポーランド“人が“好きです
Lubię polskie filmy. ポーランド“の“映画が好きです
Jadę do Polski. 私はポーランド“に“行きます
ポーランドという単語を変化させることで、表現する。
それがスラブ語です。
日本にはない感覚ですが、逆に日本語の“てにをは“が難しい。
私もあなたが一緒に行きましたか?
という言い方になるのはそういうことです。
ところがここの学習で挫折するのは非常に勿体無い。
脳の法則で私が確信していることがあって。
それは“時間を必要とする“ということ。これを大人は受け入れるのが難しい。
絶対に時間をかけたらそれなりの結果を得ることができるのですが、劇的な変化を望む表層の自分はそれが無理なわけです。
言語を学ぶ上で、魔法のフレーズがあります。
それが今日のタイトル。
和訳すると、“それ、ポーランド語でどう言うの?“です。
チ、ト、シェン、ムーヴィ、ポ、ポルスク
と発音します。
これさえ覚えていれば、わからなければ。
Nie wiem, czy to się mówi po polsku?
知らない、ポーランド後でどう言うの?
ときいて、言い方を教えてもらう。
最強です。
もう一つ。
その言語の音楽を聴くこと、これは本当におすすめです。
ポッドキャストより。
ポッドキャストは音声だけですが、音楽はリズムがあるので聴き続けられます
話されている単語はよくわからなくても、ノリで聞けますから勝手に脳の中に学習している言語を送り込めます。
それにしてもなんで英語力がかなり成長しているのでしょうか。
脳ってなんか私たちの知らない深淵な世界がありそーです。