ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

なぜ、言語学習はリンゴから始まるの

10月。

配信で、堺さん主演の日曜劇場を一気見。

24を最初に見た時の感覚に似ていました。

誰も信じない。可能性だけが無限。

ひっくり返す力は、半沢さんの時からより上がってた気がします。

私は評論家ではないのので、明言は避けますがTBSって昔から好きなドラマ多いなと思った次第。

 

でもこのドラマ、何か別のメッセージがあるような感覚を受けました。

日本語教師が国家資格になることも含め、世界と日本の関係が。

誰かシナリオ書いている気がします。

 

++

 

でも、そんなことを予想するより今日の学習が大事。

 

さて、チェコ語を学び始めた時から思っていたことですが。

なぜ、言語を学び始めるための材料(素材)は大概、ほとんどがりんごなのでしょうか。

新しい単語を知る喜びを、身近なところから。

なのでしょうか。

 

一生使わないようなフレーズを何回も覚えるのはいかがなものか問題は、外国語学習の初期から考えていたことです。

 

*私は、りんごを持っています。あなたは?

一生で2回くらいしか使わんw

 

それなのに、りんごという単語のチェコ語を知ることをミッションみたいにセッティングしてきます。外国の友達を作ると、言語習得が早いというのは、必要ではないものを覚える時間をショートカットできるということではないかなと思います。

 

*彼は、私の叔父です。

 

よりも、

 

*今何しているの?

 

の方が圧倒的に使うはずなのですが、こういう際頻出表現に学習アプリであまり出会わないんですよね。

 

なんで?

 

言語って、その言語の文章の作り方と、語彙力が両輪だと思うわけです。

ヒアリングとスピーキングはそれらを取り巻く、スキルではないかなと。

 

最近、誇張なしでずっと言語の理解について考えているんですが。

どれだけ日本語が消えるかではないかなと思うわけです。

 

相手の現在の状態を聞きたい時。

ポーランド語では

 

* Jak się czjesz?

を、ネイティブは多用します。

 

よく見かける

元気ですか?

 

* Jak się masz?

は多分、最近どうですか? 元気にしてましたか?

 

というニュアンスがあるのではないかなと。

 

日本語なら、

 

最近ご無沙汰でしたが、いかがお過ごしでしたか?

とか

元気にしとると?

の違い。

 

* Jak się czujesz?

 

だと、気分どう?みたいなライトな感覚なんです。

日本語で説明しているのですが、日本語が消えたフレーズがいくつかあるかによってその言語の習得レベルが測れるのではないかと思ってます。

 

最近、ノートの使い方(アナログのノート)を変えました。

 

言語の学習が、本気で楽しいと思えてしばらく経ちますが。

寝ても覚めても、勉強したいと思ったのは、3年半後のことでした。

 

言語の学習ってギアが変わると、中毒性が爆発します。

今のmotivationは。

 

日本語以外の何処かの言語をネイティブレベルに持っていったら楽しそう。

です。

 

最近。言語の習得は、表現力の数だと思うわけです。外国人パートナーを持ったら、言語習得が早くなるのは正解かもしれません。でもある程度まで習得したらパートナーの有無は関係なしに言語学習にのめり込むのが不思議です。ある地点まで昇華したら、あとは勝手に。

 

言いたいことがある、ということが重要で。

そのために言語を必要とする。

 

最近、読んでいる言語学習の本に

無意識化=自動化

の理論というのがあると書いてありました。

 

ー意識的に学習している場合、それはずっと知識として蓄積されるけれど、それは習得とは無関係

 

つまり、私が疑問を抱いていたことの答え。病院とか、バス停の単語を覚えても、日常生活での会話が上手くなることはないけれど、それらの名詞を知らなければ、説明することができないというジレンマ。

 

習得とは、繰り返しでしか身につくことができないので、覚えたか覚えていないかという理屈では、言語の習得は程遠い気がします。

 

パートナーからチャットが入ると、まずはその文面を見て、理解できるかできないかを判断します。何回も何回も見ていると、翻訳使わなくても、何を相手が言いたいのかを理解できるようになります。しかし、返信をすることができません。今のところはそれでいいと思っています。幼児の2から3歳くらいの状態でしょうか。

 

“今日は、仕事がとても忙しいからあまりたくさん話せないかもしれない“

日本語に訳すとこんな文章が送られて来ることは多いです。

 

では、どう返すか。

 

“大丈夫だよ。時間ができたら連絡ちょうだい“

 

この中には、言語学習の参考書やアプリで覚えている単語は、ほとんどありません。

そして、考えます。大丈夫って相手にいう日本語の感覚って一体、どういう感情なのか。

 

“あなたの言っていることを理解した上で、私はあなたの判断を支持します。そして私はそれでいいと思っている“

 

おそらくこれくらい難しいイメージを一瞬で日本語の、“大丈夫“に凝縮したわけです。

 

日本語は、習得しているからこれくらいの解釈は、今でこそできます。

 

しかし、小学生の低学年には難しい。10歳前後の日本人でもここまでのレベルではないわけです。でも日本人同士のコミュニケーションはできる。

 

言語の習得は、もしかしたら単純な繰り返しなのか?

と思ったり。

 

最後に。

 

スピーキングかシャドーイングか。

よく広告に出てくるのですが。

ポーランド語なんて、どれだけヒアリングしても理解できないし。(今のところただの雑音。なんか中国語に似てない?とか)

 

シャドーイングしても、正確な発音なのかどうかもわからないままフラストレーションだけたまる。スピーキングトレーニングアプリなんて使ったら悲劇です。見てその発音を出せないのに、やればできるの精神でやっても、苛立ちしか残らない。

 

それなのに。

なぜか、リーディング能力が上がってたり。

そして、その時、私は日本語化していないわけです。

ポーランド語の字面でわかるものは、ポーランド語のまま理解してる。

そしてそのフレーズが少しずつ増えている。

学習と習得の、狭間にいるような感覚です。

 

でもなんなく、光が見えそうな気がします。