圧倒的な練習量が、言語に限らず必要であること。
日常的に使うパターンを覚えること。
語彙力も必要だから単語も覚えること。
その言語で考えること。
挙げていけばキリがない方法論。
夏とか冬とか。
夏は暑いですとか。
などの基礎固めが必要なことは理解しているのですが。
どうしても身体が受け入れてくれない。
学生時代の英語が苦行だったことは何度も登場しているエピソードですが、その本質は楽しくないということです。
例えば。今日のタイトル。
これを例文にしている参考書って本当に少ない。
なのに、リアルな会話では結構出てきます。
悶々と考えていても仕方ないので。
私の周りで、聞いた言葉や、私が話した言葉や考えた言葉を思い出して
日記に書くようにしました。
日常で聞くということは、少なくとも。
私はりんごを持っています。
よりは使うだろうと思って。
何日か前に、外国人パートナーとチャットをすると、頭の中で言いたいことが浮かんで(日本語)それから英語やポーランド語に変換するという作業をして。その作業の比率が、自分と翻訳で変わっていくことは前述しました。
どうしてそう思うの?
とか
今何してるの?
とか
最頻出です。
私の持っている、チェコ語、英語、ポーランド語の参考書を探しても、あまり出ていませんでした。
で、リアルな言い回しのトレーニング本を買ったのですが。
少年は、まだ泳いでいないので濡れていません。
って、リアルないい回しやけど、「だろうね、見たらわかるよ」ってなっちゃうわけです。
なぜなの?
そして、2000語くらいの語彙力では、簡単なネイティブとの会話もできません。
この差をどうにかして解決したいと思っているのですが。
ネイティブの会話は、難しすぎてモチベーションが保てない。
簡単な会話を覚えることでその言語を学んでいるモチベーションを維持できる。
とか?
とりあえずこの疑問の解決は、夢に任せるとして。
言語の学習がちょっと哲学寄りになっていて。
話すということは、相手が必要であり。その相手に何を話すかをイメージして、その話すために必要なパターンを覚えて、表現するために語彙力を高めなければならない。とか、昔のギリシャのおじさんみたいな言葉が浮かんできます。
ポーランド語の単語を1500知っていても。
「それ楽しそう、いついくの? 明日」
を考えられないことが悔しいわけです。
そして、英語ならそれが言えることがなんとも言えない気持ちにしてくれます。
ポーランド語の、“いつなのか“をきく時の単語は、“kiedy“だったなくらいのレベルです。
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そんなことをパートナーに話したら。
まずは6年学んでから。スタートはそれからだと思った方が気が楽。
という回答が来ました。
今日はこんな単語を学んだ。こんな言い方を学んだ。楽しいという感覚が大事で。
いきなりネイティブみたいに話せたら逆に怖い。言語の学習は過程なのだから。
と、言われました。
結果、気持ちやテンションがものを言うのか。
それと。今を楽しめってことか。
などと納得したわけです。
その後に言われたことが、今日のタイトル。
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Instead, let's talk about our future. 英語
Zamiast tego porozmawiajmy o naszej przyszłości. ポーランド語