今日は、自分の中でずっと対立していることを。
それは。
覚えなければいけないの思いこみ問題について。
自分の誕生日を忘れる人はあまりいないと思います。
それなのに、2分前に覚えたポーランド語のズボンはすぐに忘れるわけです。
今、ポーランド語の語彙力アップのために、名詞をたくさん覚えているのですが。
片っ端から忘れて行きます。偉大なほど。
覚えようとするとダメです。
でも。
覚えるのではなくて、ずっと使い続けることで、自分の中で忘れないものにすると思い出す必要がなくなるわけです。この違いについてここ数日考えていました。
脳に得意な覚え方や苦手な覚え方があるような気がしているのですが、それよりも圧倒的に大切なのは、時間を費やすことではないでしょうか。
時間を割けば割くほど、その分野に精通するというのは多分真実だと思います。
チェコ語から始まって、イタリア語、英語、ポーランド語と言語学習の遍歴がありながら、そのトータル期間は今年の11月で4年です。今年の6月くらいからの言語学習ギアが一段上がっていることを除くと、ずっと毎日20分くらい学習した結果、言語ってなんだろうという本質を考えるほどに言語を学ぶことが好きになりました。
以前書いた、ラピュタのムスカみたいに、読めることの喜びを感じられるのだろうかという問いに対する答えは、もちろんイエスです。
ポーランド語では。
Oczywiscie, tak!
英語だと
Of course, yes!
あと、音と文字とイメージを連携させることとか。
言語学習4年目にして、今までの変化が陳腐に感じるほど最近の成長は微笑ましい(涙ぐましい? 著しい?)
言語の習得について最近新しい視野が生まれていて。
単語を覚えるより、使うことだ! とか言ってた自分が恥ずかしかったり。
でも。全部大事ですっていうと、なんだかラフな感じを与えてしまいます。
一番大事とか
最も効率的なという
謳い文句に
どうか騙されないようになったのは
とりあえず全部大事だけど
優先順位は自分の中で勝手にまとまっていくことがわかったからでしょうか。
効率は、圧倒的な時間という分母がないと導けないです。
早くマスターしたいという願望を悪いとは思いませんが。ダイエットと同じで。
太るのにおおよそ4年年かかっているくせに、痩せるのは7日で。とか
私が神様だったら、“それは無理ばい“と言います。
もう絶対に忘れないと眉間にシワを寄せるより。
忘れるんだから、繰り返そうというスタンスに変わってます。
ノート(アナログ)を使った学習方法について、今、試行錯誤しています。
言語って、表現じゃないかと思ったのですが、まだ言語化できそうにないのでいつか、ここに記録として残します。