ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

Wiem, i bardzo Ci za to dziękuję.

今日は、二つのことを書きます。

 

1、絶対的量

2、理解<習得

 

自分がよほどの天才だったらこんな苦労はしないはずですが、私はどちらかといえば平凡なので、あっちゃこっちゃ行ったり来たりしてました。(してます?)

 

ちょっと弱ってくると、すぐになんか自分の勉強方法って合ってんのかな。とか。

このまま成長しなかったらどうしよう。とか。

ネガティブな不安が脳内を占拠します。慣れてどうするくらい頻繁に。

またきたか。とね。

 

英語ならまだしも、ポーランド語ですからね。

パートナーに、“あなたの成長は信じられない“と言われますが、内心、全然ダメだよってアマノジャッキエムです。

 

でも、こういうところからちょっとした成長を感じるわけです。

脳内では、単語はそのままで、付け加えるという日本語思考があり。

それと並列して、英語でもほとんどない、単語の変化で状態を表すというスラブ思考が発動するということが度々起こります。

 

3ヶ月前までは、本当に、なんのことやらだと思っていた単語の変化(格変化)をすんなり使えるようになっている自分がいます。

 

映画のことは“kino"ですが

興味を示す、型に当てはめると、“kinem"

になるというのを勝手にできるようになるわけです。

 

Interesuję się kinem

interesuję się firmami 

 

ここで②。

 

例えば、

 

8歳くらいの日本人の子どもに

 

しなければならないことがあるのは知っているが、私はする必要を感じないから、したくない。

って、完全には理解できないと思います。

 

それに、カ行変格活用とか無理でしょw

 

こ ない

き ます

くる

くる とき

こ れば

こい

 

しかし、こんなの知らんくても40年くらい日本人やっていれば、理解できるわけです。

つまり、その文法の法則を事細かく知らなくとも、イメージで理解している。それは理解ではなくて習得だと思うわけです。

 

だから、今日覚えた単語を次の日覚えていなくても、問題なし。

せっかく覚えたポーランド語の名詞の造格を覚えていなくても、問題なし。

 

それより、ずっと使うことで脳内で発生する違和感を消していくことのほうが大切ではないかなと。それと①の、圧倒的量をこなすことで、なんか違う世界が見えないかなと思っているところです。

 

理解したから使えるのではなく、習得した後に理解がついてくる。

でも、脳内は理解したがりだから、そこのバランスが大事なんですよね。

理解より使いこなせるようになれよ!って脳内といつもバトルしております。

 

条件反射で使える量を増やせば問題なし。

細かな文法は後からなんとかなる、はず。

 

猫“が“好きなんです。

と言いたいなら

Lubią kota

複数の全体的な猫なら koty

 

いつのひか、ポリグロットになったときに、こんなので悩んでたなーって見返したいw