コミュニケーションの本質は、お互いの持っている情報や、してほしいことしたいことを自分以外の誰かに伝えることだと思います。
伝える手段は、表情、仕草、言葉など、幾つもありますが、最も影響力が高いのは言葉ではないでしょうか。あった事のない遠くの人でもコミュニケーションができますし。
身近の場合、相手がわかってくれるであろう期待感も相まってか、言葉を雑に発してしまうことがあります。私もいつも気を使っていますが、それでも完全とは言えません。
しかし、言葉の使い方が適当な人を見ると、本当に悲しくなります。
言葉はナイフよりも鋭い武器である。って個人的にずっと心に留めている思想です。
例えば、誰かに何かを取って欲しいときに
「ねえ、それとって」
と指だけ指されて、顔をこっちに向けない人。
「それ」は、人によって様々。
ましてやこっちを見ないと言うことは私をAI搭載のロボットと勘違いしているのでしょうか。
「それじゃわからない。そして、人に頼む態度と言葉ではない」
と、言います。
そんなことを言う人とずっと付き合えるはずがないので、嫌われても何も感じません。
前にも書きましたが、外国語を学んで、一番変わったのは日本語の使い方です。
日本語は基本的に察する言語なので、全部は説明しません。
しかし、
「扉開けて真っ直ぐいった先の左側にある○○」
これは情報が多いようで全く伝わっていません。
自分の中ではイメージできていることが全てだと勘違いしている人の典型。
左側には、上から下までありますし。
ありませんでした。って言うと怒られてしまうわけです。
「いつも見ているからわかるだろ」
とか、もはや言語崩壊しています。
その点、外国語はわかりやすい。
日本語での、映画の翻訳では
「ねえ、あれとってきて」
になりますが
本当の英語は
「私はとってきてほしい。あなたに、テーブル上にあるテープを。黄色ね」
と言ってます。
そして、スラブ系の言語、チェコ語やポーランド語は
もっと複雑で
Aさんがお願いしている、Bさんが女性なら
いろんな単語が女性名詞になったりします。
でも逆に、日本語に存在する、てにをはがないので
そこは大混乱だそうです。
私は
私に
私も
私が
ポーランド語は、これを表現するために、「私」という単語を変化させる言語です。
最初は、マジで頭がクラッシュしますが、わかってくると慣れます。
私は jestem
私も ja też
私が jestem
私と ja
これに形容詞とか動詞とか変化がわさっと現れて、なんじゃこれの連発。
チェコ語の時もクラッシュしましたけど(継続中)、その学習期間があったので、ポーランド語はへーくらいで終わっています。
そして。
上記のことを頭に叩き込んでも大体次の日は忘れるので。
面倒な学校の勉強みたいのはやめて。
「私も大好き」とか「家に帰ったよ」は毎日使うのでそっちを頭に叩き込む。
Jestem w dom.
ja też cię kocham.
文法なんて面倒くさい。
後回し。
名詞の主格と具格とか言われても、地頭の弱い私には無理です。
でも、これを徹底して3ヶ月。
翻訳使わなくてもある程度、チャットや電話で会話できるようになってしまいました。
難しい単語とか長文は流石に翻訳使いますけれど。