ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

Around the world, and our think process

恐怖の種類は、たくさんあります。

私たちは、自分の身を守るために恐怖を感じるように設計されていますが、その設計が時に私たちを不必要に縛ります。

 

私たちは、すべての人間が自分と同じように考えるとは思っていません。

しかしながら潜在的には自分と同じ考え方を持つ人々に好感を抱きます。

 

あなたのことを理解したいと思っても、それは自分のためであることもあるわけです。

人の究極は利己的な生物であり、それを恥じることはないと思います。

利他的な行動は美しく見えます。しかしその行動が本心でない場合、自分を苦しめることにもなりうるわけです。

 

私がチェコ語を学び始めた頃、それはとても綺麗なイメージでビルドされていました。

外国語の文化を知りたいとか。新しいことを学ぶのが好きだとか。

 

最近の外国語学習業界はAIの登場で元気です。

AIが登場したから外国語の勉強なんて必要ないだろという意見を持つものや、脳の活性化に外国語学習は必要だという意見もありつつ。

でも、実際の言語学習は、辛いことが多いです。学びも多いし、成長もあります。

今はそれが快感になっているのですが、広告で言われている、楽な世界は存在しません。

ただひたすら同じことの繰り返しで、覚えた単語はすぐに忘れるし、言いたいことを脳内で組み立てても全然違うし、試験を受けたら間違いの連続で、自分が本当にバカなんじゃないかと思うことだらけ。です。

 

しかし。そんな不安や自己卑下を一掃する最強の自問があります。

 

“ところで、私は全然成長してないの?“

 

これを自分に問いかけて、3ヶ月、半年前と自分が全く同じ状態であるなら、諦めることができます。しかし、全く同じ状態ではないことに気づくわけです。さらにそこから、私が望んでいる姿が、私の歩んでいる道の最終地点でその最終形態と今の状態を比較して、ただ自分を憐んでいるだけなのだということを悟ります。

 

世界では、戦争が絶えないのに、変な風邪もどこかに行ってしまい、私たちの日常が戻ってきたかのように見えます。

 

しかし、世界から日本を見たときに、不思議な感覚を覚えるわけです。

いろんな国、狂っているけれど、日本の狂気度は世界トップクラス。

外国に住んでも、不満はたくさんあるけれど、日本の“周りを意識する“レベルは世界一だと思います。本当に変な国。日本大好きだけど、海外から見るとそれが顕著です。

 

外国人の彼女とは大体2日に1回は、喧嘩(意見交換)してます。

日本人なら言わないことや我慢が美徳とされていますが、本当に外国の方はズバズバと言いたいことを言ってきます。しかもどう解釈しても嫌味だよねそれ、みたいな言い方を。

その都度、カチンときて、「ねえ、なら私も言いたい」みたいなことで、わーと言いたい子を言い合います。しばらく、お互い言いたいことを言って。

 

お互いが考えていることが本音で言い合えてよかったね。ってなるわけです。

まるでコント。

 

本音でいいあう文化をほとんど経験していなかった私が、今思うこと。

それは。

外国の文化を知りたい!という綺麗なイメージが壊れた時、本当の姿が見えて。

その本当の姿を見た時に、それでも好きと思えるなら次に行けるということ。

 

今は、なんか悔しくて(謎)

早くネイティブレベルの、英語とポーランド語を習得したくなっています。

 

好きだから、言いたいことを我慢する。

喧嘩して気まずくなったら嫌だから。

これを突破したら。もしかしたら自分のことをもっと好きになれるかもしれません。

 

言語学習からの学び多すぎですわ。

最近の英語とチェコ語のレベルはもう不明です。

英語に関しては、道で困っている外国から来た観光客に声をかけられるレベルです。

少し成長した、私。

 

本気の英語学習から半年後に、ポーランド語を学んで、それがチェコ語と似てるスラブ系なのは偶然か、はたまた神の采配か。

 

ブログのタイトル「チェコ語と、ビール」はこの物語のスタートなので、変えませんが。

この物語がどこに行くのか、自分が一番楽しみだったりします。