ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

人は自分が見たいように、世界を観る

この世界の人々が持っている武器。

 

様々な種類がありますが、もっとも身近で道具に頼らなくてもいい武器として言葉があります。自ら命を断つ人がその原因として挙げていること(あくまでも統計的に)は、人間関係です。

 

そしてその人間関係に多大なる影響を及ぼしているものが、言葉です。

 

思考、言葉、行動と、人間のプロセスがあるとして、実際に人を攻撃できるのは、言葉と行動であり、そのことを言動と呼びます。

 

自分以外の人間が言っていることを、“さも本当のこと“のように感じることができるシステムが、なぜか私たちの脳内に埋め込まれています。

 

私たちは周りの人たちの言動に注視しますし、多くの人々の会話のほとんどが、自分以外の人々の話となるわけです。簡単に言うと噂話です。こんなにくだらないことに多くの人々が時間を費やしているわけです。究極を言ってしまうと、人生の残り時間が、毎秒カウントダウンされていることをわかってはいるものの、毎日の生活の中では、意識されていないのが実情ではないでしょうか。

 

どうしてこのようなことを思ったのか。

 

その理由は、前回のブログで書いたように、新しいパートナーが外国人だからです。

 

自分が普段飲みに行ったり、遊んだりする人間関係は、言葉を選ばずに言えば、そこまで重要視された人ではなく、どうでもいい人も含まれます。

 

私は、血のつながった人間でも自分にとって必要か必要ではないかを考えて生きているので、ある人々からすると、冷たい人だと思われます。しかし、私は言語の学習を進める中で、自分以外の人間が言うことの適当さに嫌気がさして人間関係もミニマリズム化しました。

 

責任のない言葉を、適当にばら撒く人間たちが、一番の害。

この世界に現れた新型の何かよりも凶悪です。

 

ねえ、本当に大丈夫? →  あなたや私の知ったことではない

騙されてない? →  仮に私が騙されたところで、あなたはどのような迷惑を被るの?

痛い目見てからでは遅いからね。 →  痛い目ってなに? 遅いって何と比較して?

 

多くの人たちの意見はこんなものです。

心配しているようで、心配しているふり。

あなたが本当に大切だからと食い下がる個体もいますが。

 

もし本当に大切なら。この世界に存在する法則

“物事には可能性が2つある“

このことを踏まえて話をしてほしいわけです。

 

あなたのことを本当に大切に考えているから、あなたが選んでいる道が普通の人と違うものだと心配になる。しかしあなたが自分の責任で進む道なら応援する。私はこの思考が好きです。

 

以前も書きましたが、言語学習で手に入るもっとも嬉しいスキルは。

スピーキングやリーディングではありません。

 

多角的思考です。

 

言語を学ぶことで、思い込みや決めつけが減りました。

なぜなら、“これはこうだ“の理屈が崩壊するからです。

 

あれは絶対に月だよ。って誰かが決めつけたところで、それは日本語で言うと、という本質が隠れていることを知っていると俯瞰できるわけです。

 

私が人間関係に疲弊し続けている理由もそれです。

多くの人々は、自分の思考が正しいという“前提“で生きています。

あそこのお店は美味しくない。(少なくとも私の舌に合わない)

あの人は気持ち悪い。(と判断する材料が私の中に多すぎる)

かっこが隠れている思考です。

 

全く自分がわからない言語を、苦行のようにトレーニングした先に何が待っているのかを知らずにやることほど苦しいことはありません。

 

なので、自分が行動している理由を自分で明確にする必要があります。モチベーションを維持するのは行動学なので、やる気とは別物で、45日くらい継続したら定着します。その先は、目的(理由)が必要となります。ここが明確になっていると、自分の行動のブレが減っていきますし、気がついたら成長し続けるターンに自分を持っていくことができます。

 

その人が言っていることは、その人が考えている思考のほんの一部分です。その人が言っていることの本質を知るには、その人の行動や仕草を観察することが不可欠となります。言葉はその人を知る情報としてはかなり低いのです。そのくらい“言葉は適当“(ポジティブな意味とネガティブな意味の両方で)なはずなのに、なぜかその言葉で自分の人生を壊してしまう人がなんと多いことでしょう。

 

私の周りの人々の思考は、自分以外の人の言動についての批判が大多数です。

付き合っていたら頭がおかしくなります。

なんてくだらないことを考えているのだろうかと(私の思考とは合わない)思っていても口には出しません。

付き合うことをやめればいいわけですから。

 

相手が言っていることを理解できないとすれば、それは違う人種とも言えるわけです。

 

そして。違う外国の人を恋人にすることは、自分の想定よりもかなりハードルが高いです。

ニュアンスがわからないから、もっとも使うフレーズは、

“それどういう意味?“です。

次に、“私はこう感じたけれど、あってる?“ です。

 

日本人がよく使う言葉。

まじで?

本当?

うそやろ?

そうなの?

これは同意ではなく否定です。

英語に同様の単語がありますが、日常会話で使われることがほとんどありません。

英語では、

 

:I see, I agree, same here, I think so that too.

のように、相手を受け入れる言葉をよく使います。

外国の言葉を学ぶことで外国の思考が手に入るとよく聞きますが、この辺りに気がついたのは最近です。それも人に言われて。

 

〇〇さんって、否定しないよね。

いやでもさ。って聞いたことがない。

と言われて。

外国語を学んでいるからじゃない?

って思わず反応しました。

自分の意見を相手に被せる思考がないから、“いや、でも“の単語が消えていったのかもしれません。

 

「お前の言う意味わかるよ。でもな…」

これの本質は、“お前の口から出る日本語の意味自体はわかる。けどお前の思考は理解できない“です。

 

物事の正解にこだわると、言語学習は必ず挫折します。

また、自分の想定と結果を同じ秤に乗せてしまうと挫折します。

脳は独自のプロセスで変化するからです。

人間の思考とは別の領域で成長するようにできています。

脳が思考を司っているというこの世界の既成事実も本当か疑わしいものです。

そして世界は、人間の持つ思考とは別のロジックで動いています。

人が行った行動は、どこかの座標で結果を得ることがこの世界の真実です。

“宇宙の“といえば、なんとなく深遠な感じがして人に伝わりやすいから、宇宙の法則とかよく本で書かれていますがそんなものは存在しません。

 

さて。最後に。

英語のヒアリングが次のステップに入った気がします。

多くの人が言っている、音の理解から意味の理解への変化ということでしょうか。

ポーランド語の勉強を始めて、チェコ語とセットで成長している気がします。

気がついたら、

 

チェコ語、英語、イタリア語、ポーランド語。

また四つになってるw

増えたり減ったり忙しい。

 

そして、勉強している感覚ではなくて、日常になってきました。

ここまできたら安心だと、無意識に落ち着いている感覚を日本語で表現するのは難しいです。

12月になったらどうなっているのかと今年の初めに存在した思考も今は消え、終わりのない旅は、死ぬまで続くことでしょう。

 

以上、今日私が言い切った表現全てが、私の思考で完結しており“真実ではない“ことを添えて今日のブログを終了とします。

 

“All roads lead to Rome“