|from 2019|
チェコ語学習|1,181日|3年と2ヶ月と24日
ヒアリング時間|2,066時間
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本当に長かった。
誰かに教えてもらうより、自分で四苦八苦しながら身につける言語の崇高さ。
もう多分これから先、言語を習得することは人生とセットになるだろうし、言語を話せるようになりたいという願望を抱くこともないでしょう。願望ではなく呼吸と同じように日常で不可欠なものになったからです。
今日は、super turning point として記録しておきます。
言語はトレーニングで、知識ではないって言っている人が昔から多く存在していました。
昔とは、私が言語を学ぼうと決意した2019年当時のことです。
前半の2年は、ひたすらチェコ語の教科書を目の前にひたすら勉強をしてきました。
一般的にみなさんが想像する、あの勉強です。
なんでか、図書館でテキストを開いて勉強している姿に憧れるんですよね。
勉強している私に酔うというか。。。言語の習得においては、この勉強スタイルが最もしてはいけないと気づくのにはしばらくかかるのですが。
勉強していく中で、チェコ語の教材やサイトがほとんど英語であることに悲しさを覚えつつ。
というか、今思うと需要と供給のバランスが悪い。
なので、チェコ語を学ぼうとする日本人が増えなければコンテンツとして成立しないはずだよな。と思うようになり、音が気持ちいいイタリア語と、避けては通れない気がし始めた英語の勉強を加えるようになりました。当時、20くらいの言語を触りで勉強したりして、まさしく勉強の鬼になっていたような。。。2020年から2021年くらい。
時々、原点回帰しながらそれなりに言語の学習を楽しんでいました。
2022年は、自分の人生の転換期でもあったことから、言語の学習はフロー状態。
浮き沈みなくただひたすらに毎日勉強する状態。
で、事件が起きます。
あることが起こり、もう日本人はいよいよ誰も信じられない。
家族を含めて、もう誰も。never ...
これまでも、結構闇がおおい人生だったのが、より一層の闇を経験し。
super black くらいの黒さで。泣きながら歩くのはしんどいなって思うくらいに。
どれだけ体の中に涙用の水分が溜められているのかと思うくらいに泣いた夜もあったりして。
で、パチンと何かが弾けてしまいます。
その事件があったのが2022年11月。
なんとなく死生観にも影響が出ました。
人はいつか死ぬからとにかく無茶苦茶してやろう。というものではなく。
死とは何か、くらいの哲学レベルの自問自答。
この世界で絶対が存在するとすれば。
それは
1)じぶんが生まれたということ
2)生まれたということは死ぬということ
それ以外に絶対は存在しない。
そんなことを考え始めたら、人はなぜ生きているのだろうかとか、この世界の究極の楽しみとは一体なんだろうかとか。もう無尽蔵に出てくるわけです。
で、でた結論。
明日死ぬ可能性があるということは、私たちの人生は常に死と隣り合わせ。
生きているということは半分、死を伴っているのではないか。
だったら、未来の願望は持ちつつ、それよりも今日一日を全力で楽しむしかない。
過去の偉人が言葉では何回も言っていたことが、腑に落ちたような。
そんな感覚になりました。
そして、ちょっとクレイジーな言語学習者に変貌してしまったのでした。
そして今。
冒頭でも書いた通り。
<言語学習者の私>から、<今後言語を取得する人の軌跡>に切り替わり。
そんな簡単なマインドセットをしただけなのに。
チェコ語もイタリア語も、急に理解度がアップしたわけです。
英語に比べたら1%くらいの割合なのに。です。
そして、英語に関しては。
それくらいの英語なら話せるよのレベルになっていました。
いつの間にか、気がつけば。
例を挙げると。
今まで聞いていた洋楽のアーティストの歌詞を見て。
その歌手の感情がわかる。
+++
さっきまで、歌っていたあの人はもういない。
でも、こんなに昂る私の感情。一体なぜ。
ああ、もう少しだけ近くにいて欲しかった。
+++
みたいな。
これはあくまで私が日本語訳したのですが、この英語バージョンが頭の中にイメージされるわけです。
また、ポッドキャストでも、発声練習について、このような方法があるよ。
とか
今までは英語の音として捉えていたのが意味とセットになり始めてます。
すると不思議なことにスピーキング能力も飛躍的に上がる。
結果、トータルスキルが上がって。
勉強楽しい! という感覚を超えて、当たり前になりました。
そして、嘘のような本当の話で。チェコ語を聞いても、脳の仕組みが変わったのか、なんとなく言っていることがわかる状態に。これは感動しすぎて、冷静な自分がいましたね。
+++
さて。
何をしたのかを最後にお伝えします。
前述した事件の後。
心の奥底から、外国語を話す自分になろうと決意して。
ならば話すしかないと思ったので。
スピーキングのトレーニングを特化させました
それはシャドーイングとかいろんな方法論ではなく
ただ、単純に、話したい言語話し続けることです。
そんな簡単な方法なの? って自分でも不思議に思うくらい。
そして、結果それずっとやってれば10とかいけるでしょ?
って楽観的になるほど。
あともう一つは。
英語に触れ続けること。
そのための方法として使っているのが。
1)Instagramです。外国語のコミュニティーアプリで仲良くなった人にInstagramのアカウントを教えて、そこでメッセージのやり取りをしています。
2)もう一つは、AIのロボットを言語パートナーにすること。
この2点のメリットは通常使われている英語が多くないことに気づけることです。
あ、またこの言い回しだ。
って気づくことが脳のブレイクスルーを生み出します。
それを2ヶ月くらい続けた結果。
ある本屋で本を見ていて。
欲しいなと思った瞬間
英語がズラリ頭に並ぶという体験をしたわけです。
I'd like...
I need to buy...
going to buy...
etc...
それが最近の話です。
脳って不思議で、騙せば騙すほど、そう信じ込む性質があるようで。
英語が浮かぶ自分に自信がついたら、道ゆく外国人にも話しかけられるようになるわけです。
こんにちは。初めまして。
hey, hello.
どこの国の人?
where are you from?
日本は旅行できてるの?
Japan on a trip?
とか
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で、次の課題は。
この英語レベルを上げていくしかないわけですが。
その方法もわかってきたので、いつの日かその話も披露したいと思います。
チェコ語を遊びで学び始めて1100日。
英語をガチでトレーニングして90日。
レベルは雲泥の差。
この差つらw
でも、それに気づけてよかった。
言語、めっちゃ楽しい。
言語は、聞いて話すことに時間を割きさえすれば誰でも習得できる。
この感動伝わりますでしょうかね。
多分伝わらないでしょうね。
ま、いいか。