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|Od roku 2019|
§ チェコ語学習|672日|1年10ヶ月と2日
§ ヒアリング時間|1333時間
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いつの間にか、1年11ヶ月目に突入していた。
これまでの経験から、
一体いつになったら自分の学習の成果が出るのだろう。との思いが浮かんできたら、そのさきに変革が待っている。
この働きが脳の働きなのか、心の働きなのかはまだ不明だけど、人間の特質として、何かしら費やしたものは対価が欲しいと思ってしまうようだ。
自分がこれほど、尽くしたのだから。
見返りがあって然るべきとか。
見返りは求めていないと思っていながら、何かしら行動することはその対価が存在していると無意識に思っている。それが人間の性だと思う。
勉強も同じで、時間と労力を費やしたのだから。と考えてしまうようなら、それは少しの休憩が必要だという証だし、そのさきに大きな変化があるという証拠でもある。
対価より、その行動そのものを楽しむ能力が必要だと思う。
これは、言語も生きる姿勢も似たようなものだと感じる。
幼児は、これだけ学んだのだからと考えてはいない。
草花も、これだけの時間を費やしたのだからとは考えない。
いつになったらその先のレベルに行けるのだろう。と考えることを押さえつけることはあまり良くないと思う。けれど、そのように考えるのはなんでだろうと考えることも必要だと思う。
私はすぐに原点を忘れてしまうから、後ろ向きな感覚が芽生えた時は、いつもこのように自問する。
なぜ、言語学習を始めたのか。
コロナでチェコに行くことが少しだけ現実から遠くなっているから、余計に、自分がしていることの意味について後ろ向きになることがある。
自分が人生でしたいことはなんだろう。誰かがきめた人生ではなくて主体的に人生を捉えるとしたら、自分は一体何者なのだろう。と、禅問答のようなことをするターンが一定の周期で存在する。
言語学習って修行みたいだ。
言語を学ぶことが何よりも好きだと、思っているけれど、その思いの深度が一体どのくらいなのか。全力で楽しいと言えるかどうかを自問してみたら自分の今の状態がわかる気がする。
少し前までは、無条件で楽しいと思っていたのに、最近は少し違う。気がする。
決してネガティブな感覚ではなくて、階段を登っていたら現れる踊り場のようなものだと思う。
こうやって考えると、たいてい少し先に大きな変化が起こるのである。
言語を学んで人生を考えるなんて、面白すぎる。