|Od roku 2019|--- --- --- --- --- |
§ チェコ語学習|592日|1年7ヶ月と14日
§ ヒアリング時間|1148時間
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もしも、言語トレーニングにもアスリートのようにウォーミングアップがあるとしたら、ようやくウォーミングアップが終わったような感覚だ。
チェコ語のポッドキャストを聴いていると、ふと、これは簡単なチェコ語、これは難しいチェコ語が使われているというのがわかるようになっていた。さまざまな装飾が文章の中でに出てくることがはっきりわかる。
現在、言語トレーニングのウェイトは、チェコ語7割、英語2割、その他1割。
チェコ語だけ急に突き抜けた感がある。
同時に、これまでの記憶、小学生の時の友達の名前とか、脳の奥に隠れていた記憶が頻繁に表面に現れてくる。もちろん忘れたいような辛い記憶や思い出したくもない人の名前とかも出てくる。
しかしこれはしょうがないと思う。
脳の回路が思い切り変化しようとしていて、脳の構造を再構築しているような感覚だからこれまでの記憶がバケツをひっくり返したかのように出てくる出てくる。
一度リセットして、脳の構造が切り替わった時、その作業の完了とともに、言語の理解力がもう一段上がると予測している。
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さて今日の主題は、特に意識していないのに、起こっている現象について。
家族がある公演プログラムを聴いていて、それは日本語なのだけど、聞こえてきたフレーズ、単語が脳内で別の言語として感じられること。
「私たちには、この事実をはっきり知る権利があります」
これの全体がわかるということではないくて
この表現を英語やチェコ語の表現に当てはめたらこんな感じになるだろう。というもので、イメージを思い浮かべる感覚に近い。
|Máme právo to vědět. O faktech.
上の日本語を聞いたら、すぐに|私たちはある 権利 知る|の後に|真実を|なんだろうなと外国語の文法構造のようなものに変化して理解している。同時に、チェコ語と日本語のハイブリッドで作文しているのかもしれない。
ある事象について、説明する表現方法が無数にあるという事実が腑に落ちたからかも。
事実かどうかわからないけれど、人から聞いた京都の文化にこのようなものがある。
「お茶のおかわりいかがですか?」
と言われたら
「そろそろ帰って欲しい」と解釈しなければならない。
言葉の文面通りに受け取ったら、だめだそうだ。
こんなのは日本人だけだ。
言われた言葉の裏に意味を理解しなければならないなんて。
ある意味、すごい深い言語構造だけど、だからこそ日本語は本音と建前という文化が形成されたのかもしれない。
海外であれば、行間を読みなさいと言われたら、だったらちゃんと書きなさい。と返してくるだろう。
海外は直接的でメッセージ性がある。
日本は、間接的で詩的だ。
雨が上がった後、葉っぱを滴る水滴を見ながら、なぜか夏の始まりを感じるのは日本人の感覚でもあるし、それは日本語の持つパワーだと思う。
どちらが良くてどちらが悪いという感覚ではなくて、お互いそういうものなのだ。
と理解することで、それぞれの構造を理解できる。
そうすると、言葉の作り方、文章の作り方の意味がわかる。
もしかしたら、だからこそ聞こえてきた日本語が無意識のうちに外国語になっている可能性がある。