チェコ語学習日数|403日|1年1ヶ月と7日|
ヒアリング時間|799時間
学習トータル時間|1205時間
チェコ語のヒヤリング時間がもうすぐ800時間です。
流石に、800時間もチェコ語の音声を聞いていたら、何も聞き取れない初期に比べると、かなり違和感は消えます。
私の場合は、ポッドキャストと、チェコ語の音楽、そしてチェコ語の映画の三本柱なのですが、ダントツで映画が勉強になります。勉強というかトレーニングですね。
この際のポイントは、色々な映画を観るのではなくて、同じものを繰り返し観ることです。脳は繰り返しに弱い性質があるので、新しい映画を毎日変えて観るよりも、同じものをずっと観ながらチェコ語の音声を聞いていると、要所要所で聞こえる単語が増えていきます。
新しい映画をみると、聞こえている単語は同じかもしれませんが、あまり脳が反応していないように感じるわけです。繰り返しの場合は、脳が少しずつ吸収してくれます。
同じ言い方だとしても、何度も見ている場面で使われているフレーズは頭に思い浮かびます。意味がわかっているわけではありません、音だけの反応です。
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日本語に変換しないほうがいいような気がするのは、今年の最初の方に思ったのですが、映画を見ていて最近完全に腑落ちしています。
例えば、日本語の「知りません」にも「知らない」「知らないよ」とか「知らん」とか「わからない」「知るか」など場面に合わせて表現方法は多岐にわたります。この全て、誰かに対して私が知らないことを伝えるための手段なのですが、おそらく英語もチェコ語も同様にニュアンスと場面に対して当てはめる単語が存在していると思います。
でも、基本的な構文である「知りません」は
英語でもチェコ語でも当たり前ですが存在しています。
英語なら|I don't know|
チェコ語は|Já nevím|
両方とも「私は知らない」を表現しています。
ただ。
日本語の場合は、言葉が主ではなく、感情に合わせて言葉を変化させます。
外国語の場合は、言葉が主なので、言葉は変化せずにTPOで双方が理解するという文化だと思うわけです。
なので、|Já nevím|でも使っている場面のニュアンスでは|やり方がわからない|と日本語で表現する時も、使ったりします。
日本人としてずっと日本語を使っていると、なぜここでこの表現をしたのだろうかと考えることをトレーニングとして義務教育から続けていますから、適切な表現を作り出すことを習慣にしているわけです。
でも、外国語は違うように感じます。
とてもはっきりとしていて、だから柔らかにニュアンスが難しい。
フォーマルか、アンフォーマルに別れているものの、日本語のように、敬語、尊敬語、謙譲語とかはないと思うんです。(あったらごめんなさい)
「送って差し上げて」って言い方。日本人である私も、使い方を正確に知っているわけではないような気がします。
で、何が言いたいか。
映画を見ていると、|Já nevím|って聞こえた時に、画面内では主人公が手を広げて、「さあ?」みたいなジェスチャーをしていると、「なんでかな?」とか「知らない」とか「別に」とか色々な解釈ができるわけです。
この、解釈できることが言語学習においては大切な感覚ではなかろうかと思ったわけです。外国語は特に、その音が、あらゆる意味を含んでいます。
そう考えると、日本語はとても優しい言語のような気がします。外国が優しくないという意味合いではなく。
相手を慮る文化。この慮る(おもんばかる)も非常に高難度な日本語です。相手のことを考えるではダメなのか? って思ったりしますが、その言葉があるということは、それを使う場面があるのでしょう。
若い人が「メンブレ(メンタルブレークらしい)」とか使っているのを聞いても、私が言葉の乱れと思わないのは、第二言語を勉強しているからかもしれません。おそらく今この時代に、清少納言がタイムスリップしたら、「?」ってなり、「日本語が乱れている!」と思うかもしれませんね。