■夢にチェコ語登場
言語学習の初心者が、右往左往しながらチェコ語を学んでいく様をリアルタイムに記録。
毎日の成長は感じられないけれど、ちょっとずつ変化がある事を楽しんでいます。
今月の4月19日で、150日経過し、6ヶ月目に突入します。
先日のこと、夢を見たのですが、その夢の中で相手がチェコ語を話していました。相手の会話が全くわからないのですが、相手は私がわかっているだろうという様子で話してきます。
わからないです。をチェコ語で伝えるのが精一杯。相手はキョトンとした表情で、そんなはずないだろ。という顔をします。これは無意識で脳がチェコ語を取り込んでいることの証明なのでしょうか。よくわかりませんが、想像では実際にチェコに行ったときに味わう体感を先取りしたような感覚でした。
さて、日々の変化としては、最近ポッドキャストを聴いているときに、単語が頭の中に視覚化されつつあることでしょうか。もちろん、全ての単語ではありません。
頻繁に会話で登場する単語を脳が認識しているのか、聴いたフレーズが頭の中で映像になる感覚というか、暗唱で無意識に追いかけているという感覚です。
このチェコ語の単語は、日本語の意味なんだっけ? と考える癖は現時点で完全になくなっています。
■to není ale ...
と聞こえてきたら、今までは、「これ、違う、でも」と脳内で日本語に変換する癖があったのですが、to není ale(ここで使うフレーズ)。今は、フレーズをそのままイメージで理解しようとしています。
約半年くらい学んできて、チェコ語文法には、ほぼ手をつけていない中で、漠然とした理解としては、日本語変換はしない方がいいということです。これ結構確信的です。
脳内の反抗(理解したい)に耐えることができれば、一つ一つの単語を完全に理解することよりもその言語の持つ特性を染み込ませたほうがいい気がします。
言語の構造について
日本語に変換するとその言語を日本語として理解することになるので、あくまでも変換されたチェコ語は、日本語だと思うわけです。
例えば
■mám hlad(マームフラド)
これは、日本語に変換すると、「お腹がすいた」なのですが、日本語では、「空く」なので、肉体的な胃腸の状態を表現することで、自分自身の空腹状態を表します。
「お腹がすいた」=「何かが食べたい」を包含しているので、肉体的な状態に、感情や欲求を含めて表す言語が日本語なのかもしれません。これは察する国民性としての日本人が日本語を操るからだろうかとちょっと飛躍した理論を展開したくなります。
何か食べたい=お腹がすいた
でもあります。
チェコ語は、
■mám
持つ
■hlad
空腹
を意味します。
「空腹を持っている」が直訳です。
逆に、何かが食べたいと表現したときに、日本語のように=お腹がすいたということではないのがチェコ語です。チェコ と言わず、日本語以外の文化はもしかしたらそうかもしれません。
プラハのカフェ文化は、空腹での利用に限定されているわけではないらしくとは違うらしく、お洒落な空間でコーヒーを飲みながらデザートを食べることが成立してしまいます。=何かが食べたい=シフォンが食べたい。のように。
言葉の構造がそもそも違うのに、日本語で理解したいから日本語の意味を考える。
前述しましたが、to není aleを頭から理解しようとすると、「これ、違う、でも」
しかし、フレーズで理解していると、「není」に反応します。そして否定しているんだなと理解して、「ale」で続くセンテンスは否定説明だろうなと想像します。そうすると、この思考方法を続けると、いずれは全ての単語が理解できなくても文の構造を感覚で理解できるようになると期待しています。
まとめると、今ポッドキャストを聞くのが今まで以上に楽しくなっています。
その理由は、
1)チェコ語のリズムに耳が慣れている。その結果、単語が切れて聞こえるようになった。
2)文の内容が漠然と把握できるようになった。全ての単語の意味はわからないけれど、語彙を少しずつ増やすこと(単語は日本語理解)。これが結果につながっている気がします。
そしてもう一つ、オーディオブックで、耳と目を同時に鍛えるインプットの効き目が大きい気がします。
言語学習って深い。
■Na zdraví
意味=健康のため
日本的表現=乾杯
※乾杯の起源(一説)
西洋文化が日本に急激に広まった明治時代。軍隊を中心に乾杯の風習が広く行われるようになったようです。当時は『乾杯』という掛け声ではなく、『万歳』と。次第に言葉は変わり、杯の中を飲み干すという意味の『乾杯』が使われるようになったとのこと。