脳は怠け者。
脳の本を読みました。
怠けるというよりも、楽な方法を探そうとするような気がします。
あとは、今まで自分が行ってきた行動や習慣を自動的に行うような。
私にとって、言語学習はとてもチャレンジ が伴う行為です。
前の記事でも書きましたが、国語、数学(証明)、歴史など得意な教科は少なからずありましたが、なぜか英語だけは成績がずっと低空飛行だったからです。
身体が英語の学習を受け入れられませんでした。
なので、動機(チェコのホスポダで、チェコ語でビールを頼む)がどうであれ自分が言語の学習を行うとは、しかもマイナーな言語を学ぶとは思ってもいない中で学習がスタートしています。
あまりにも新しすぎる体験が故に、脳が疲れて、辞めちゃおうかなと思ったこともあります。
私に限って言えば、脳は目標設定が本当に苦手。どんなにゴール設定をしてもその途中の道のりが真っ暗だとすぐにサジを投げようとします。
それを超える手段は、脳の思考を超えて習慣化した行動である前回記事で書きましたが。
そして本日は、いまだに脳がやたらと行いたいと発信していることをご紹介します。
日本語での意味は?
そうです。チェコの文章や、チェコのポッドキャストを聞いたときに、これは日本語でどんな意味があるのだろうかと、翻訳を頼ろうとすることです。
それをシャットアウトする手段として最近用いているのが、私が学生時代に苦手としていた英語を当て込むことです。
チェコ語の翻訳を日本語ではなく、英語にしてみる。
脳が強烈に拒否反応(かこの英語学習のトラウマのような)を起こしています。
が、これによりこれは日本語でなんという意味なのかと脳が自動的に進もうとする方向を修正できるかもしれません。これは仮説です。
私が、チェコ語を学んでいる真の目的は「チェコ語の翻訳者になること」ではありません。
もし翻訳者になるのなら、チェコ語の語彙や、日本語の言い回しがとても大切になることでしょう。しかし私は少し目的が違うので、チェコ語のそのままの単語を脳でイメージできるところを目指したいと思っています。
単語の学習も、moře = sea = 画像
と、なるべく日本語を排除してみようと思います。
さてこうなると、脳が嫌気がさすのが目に見えてきます。
その時は、またご報告します。