チェコ語を勉強し始めて、まず起こった感情論。
「意味不明だな」
まあ当たり前ですよね。
でも、チェコの人々は、それで意味が通っているわけです。
逆に日本語をペラペラ話す私たちを見て、チェコの人たちは意味不明だと感じるわけです。
なぜ、私はこんな当たり前のことをつらつら書いているのでしょう。
私は外国語講座に行ったことがなく、独学で学習しているから正しいかどうかなんてわかりません。
したがって推測、憶測の域を出ないのですが、おそらく日本人が外国語に弱い理由は、日本語の独特の曖昧さと言葉の自由さが故の弊害なのではないかと思ったわけです。
最初に戻ると、意味不明だなと感情的な波が襲ったときに、次に私が考えたことは、何を言っているのか日本語の意味が知りたい。でした。
おそらく学んでいるほとんどの人がそう感じることでしょう。
しかし、日本語に変換しようとすればするほど、大混乱に陥ります。
日本語は、単語と単語が組み合わさって言葉の意味が変わることはほとんどありませんよね。
「私」+「は」=あなた
にはならない。これは極端ですけど。
チェコ語は、[na]が、別の単語と組み合わさることによって、いろいろ変わります。
さらに、もっと長いセンテンスから読み解くと全然違う意味合いになる単語が結構あります。
なので、日本語に変換しようとすればするほど、大混乱となりました。
次に、日本語は定義付けが不明瞭です。
例えば、会社の人間関係に悩んでいる私を想定してみます。
すると、日本語の場合、
私「会社いきたくない」
こう呟くことで、【私】も私の周りにいる人も全員が、私が会社のことで何か悩みを抱えていると、伝えることが可能です。
しかし、外国語の場合、定義付けがしっかりとしています。
特に、チェコ語は、
だれが、いつ、どこで、何を、どうした
だれが→男性か女性か、一人か、複数なのか?
いつ→今なのか、昔なのか、大昔なのか、遠い未来なのか、近い将来なのか
定義によって単語が変化しますので、言葉そのものが定義みたいなものだと感じるのです。
そこで、日本語への変換を禁じることを自分に課しました。
正確には、日本語の意味が知りたい!と湧き起こる衝動を無視することです。
今後、ある程度、学習が進んでいくと、一つの名詞、一つの、動詞や形容詞に対して、多くの語彙や規則性を学ぶ必要があるなと感じています。
しかし、そんなことを今から始めると絶対パンクすることは予測できるので、今はたのしみ優先でのんびり学習してます。
PS
逆に外国の方からすると、法則があるようでないような日本語独特の感覚は難しく感じることでしょうね。
「なんで、勝手にあんなことを・・・」
と電話で、突然言われたら、日本語の単語自体は理解していたとしても、???ですよね。
そんなことを日本人ながら感じてしまいました。
本日までで、233語のチェコ語学習完了。