今日は、ビールの話のような精神性のような話を。
チェコ第四の都市ピルゼン(プルゼニュ)に、世界的に有名な、ピルスナービールのブランドピルスナーウルケルがあるのですが、これは少しビールに詳しい方だったらご存知かと思います。
ピルゼンでウルケルを飲んだら、ビール嫌いがビール好きになった、なんて都市伝説のような話が存在するのも事実です。
日本で売られているビールも、ほとんどがピルスナー(ラガー)ビールであるため、ビールには100種類(もっとか)ほどスタイルがあると聞いてもあまりピンとこない方もいます。
最近では、クラフトビールが少し流行っているためスタイル主義の人も現れています。しかし、本質は、ビールが好きかどうかではないでしょうかね。
クラフトビールの集まりに何度か参加しましたが、博識ぶって、「これは」と知識披露大会になる飲み会は辟易します。
私がほとんどのネットニュースをみなくなった理由も、同様の感覚なのですが、知識や方法論ばかりが先行して、本質を見失う人たちが多いのが個人的には悲しいです。
あくまでも個人的な感覚なのですが、俯瞰すると現代人は羊です。
ビジネス界隈で、クラウドがはやれば、企業がこぞってクラウドの導入を推進する。個人情報保護法が制定されると、中小企業にも認証カードを使った入退室管理システムが導入される。コロナで一斉にテレワークやら遠隔会議が流行り、そのツールが売れる。空気清浄機はバカ売れする。アフターコロナとか、DX(デジタルトランスフォーメーション)の導入で企業の戦略がどうたらこうたら。
精神的な拠り所としてアンカーがどこにも打たれていないため、浮きのように定まることがありません。
余計なことを排することで、いろんなことが見えてきます。これは、考え方としてはミニマリストとか断捨離の話かもしれません。
何度も読み返しているこの本が、この辺りの理解を助けてくれます。
私は人と接する時に、控えめにビール好きを宣言するようにしています。本当は、かなりビールが好きなのですが、そのことは控えます。ビール好きがこうじてチェコ語を学ぼうと思うあたりがビール好きを自認する要素の一つです。
誰から何を言われようと、揺るがないもの。
一本軸が体の中を貫いていて、それがすべてにつながっていると考えること。
私の中で、幸福の定義は
自分(わたし)が好きなことを自分(わたし)がわかっていること。
自分(わたし)が好きな人を自分(わたし)がわかっていること。
誰かの影がチラつく強制された「好き」は、自分(わたし)ではない。
ビールを飲んで、「今日もビールが美味しいな。幸せだな」と感じることに他者の介入は無意味です。だって私はそれで幸せなのですから。
なぜ、チェコ語を勉強?
なぜそこまでビールを愛しているの?
よく聞かれますが、この「意味探し」をやめると急に世界が開けます。
チェコ語の勉強をしていて、この意味探しをやめたときからチェコ語の学習が楽しくなったのと似ています。