|BEER and Languages|

  ビール好きの言語学習録|チェコ語:ポーランド語etc…

雑記|幸せは選ぶこと、言語も同じ

f:id:iwairyoui:20210114161741j:plain

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

|Od roku 2019|

 §  チェコ語学習|630日|1年8ヶ月と22日

 §  ヒアリング時間|1226時間

 

***

本日の音楽。

 

*** 

 

ある物事が目の前で起こったときに、どのように反応するかは人それぞれ違う。

何を選ぶのが自分にとって最善なのかを考えてしまうと、選ぶことに臆病になる。

選ぶことは無限の可能性から絞る作業だから怖い、そんな側面もある。

でも、人生は選び続けることだから正解にばかりとらわれていると、身動きが取れなくなる。

 

あらゆる選択肢から[幸福を選択する]と考えるより、選択すること自体が幸福なのだと自分で設定することで、幸せな人生を送れると思う。

 

言語を学ぶと、思考回路が変わるので視野が広くなる。なぜなら、日本語はあくまで一つの表現であり、同じことを表現するだけでも、数百の言い回しと言語が存在するという事実を体感できるからだ。

 

批判もそうだ。

批判する/批判しない

この二択がある中で、多くの人は自分の正当性を主張するため批判に走る。

 

物事には無限の広がりがある。

この世界の人はどんどん自分の自信を失っているように感じる。

自分の意見に同調してくれる人は仲間で、同調してくれない人は敵なのだ。

どんどんとグレーがなくなっていき、白か黒かで判断する人が増える。

情報が最上級の価値となり、自分で考えることの価値は減っていく。

自分で考えられないから、不安で仕方ない。

 

ある人が、私に宗教の勧誘をしてきたとき、

「あなたはこの教えを学ぶことで幸せになれる」

と言ってきた。

余計なお世話である。

私が今幸せかどうかをなぜ他者であるあなたにジャッジされなければならないのか?

と聞いた。

すると

「今よりももっと幸せになれる」

と言い直した。

今よりもっとというのは、幸せが増え続ける前提に聞こえると、返す。

「今が幸せなら、もっと幸せになるという概念がおかしい」

幸せは数値ではなく、体感だから。体感は常に100。50くらいの幸せという概念は自分の中には無い。

 

その人は、二度と私に勧誘をしてこなかったけれど、今でもその人は、幸福には見えない。

注)これは私の視点だから真実では無い

 

言語は選択の一つ。言語は学ぶものではなくて、その国の文化をインストールするために必要な選択。だから、幸せを選ぶのと言語を選ぶのはとてもよく似ている。

 

自分が感じたことをどの言語で表現するのか。それは自分が感じたことを幸せだと自分で納得する作業に似ている。

 

この世界の過半数は思い込みでできている。

この世界の言語は日本語以外の方が多く話されている。

たくさんの言語を学ぶことは、凝り固まった自分の思い込みを融解してくれる。