チェコ語学習|1,214日|3年と3ヶ月と27日
ヒアリング時間|2,111時間
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最近、ずっと目を逸らしてきた事実があります。
それは、英語の学習アンドトレーニングが全く楽しくない。ということ。
深刻。
なんだか中学生の時に英語を嫌いになった時の気持ちのよく似ていて。
なんでだろうかって最近ずっと深掘りをしていました。
昔、空手をやっている人に聞いたことがあります。
目の前の板に集中したら割れなくて。
板の向こう側を意識すると簡単に割れる。
板は拳の通過する通過点に過ぎない。
だから未来のことや夢にフォーカスしなさい。と。
これ、頭ではよく理解できるわけです。
でも実際には全然違う感情と戦わなければなりません。
その敵とは。。。。
正しくありたい気持ち。
よく、啓蒙動画で、失敗することを恐れれるなとか。
失敗から学ぶとか言ってます。しかし。
それは大袈裟で私たちが最も乗り越えなければならないことは。
間違い続ける自分を許容できるかどうかじゃないか。と。
将来の夢があるから、今は苦しくてもこの課題をしなければならない。
このトレーニングをこなすことで輝かしい未来がある。
先ほどの空手の話で言うと、これらの思考は正解のはずです。
今目の前にあるかべは、未来という力で簡単に突き破れる。
でも。
頭と心を戦わせたら、心が最終的には勝つわけで。
* あなたは来週引っ越すつもりですか?
という英語の文章を覚えまくることで、一体何が起きるのだろうか。
そして、そのセンテンスをうまく並び替えられないと、容赦なくアプリから“間違い“の文字が。楽しくない上に、義務化しており、さらに間違い続けると、それのストレスは言葉では表現できないレベルです。
あれ、言語学習ってこんなに苦しかったっけ。
そういえばこの感覚が嫌で中学生の時に、英語嫌いになったよな。と。
正解を求めるための行動の無意味さ。
例えば。野球。
正しいフォームは理論的にはあるかも知れませんが、プロは皆がそれぞれのフォームを持っていますし、それで活躍しています。そして活躍することが正解だから、やり方についてはあまりフォーカスされない。
初心者レベルを脱した英会話で、今の私に起こっていることは、正しさを求める自分との戦いと、早く次のレベルに行きたいと願うあまり最短を狙う思考をいなす活動です。
どちらも全然クリエイティブじゃないし、なら言語の学習なんてやめてしまいたい。
多分、ここが、鍵なのでしょう。そんな気がします。
ということで、ここ数日ずっと考えていたら、前述した空手の話が出てきます。
自分が成りたい姿ってなんだろう。
夢とかって追いかけるから結構動詞なんです。
こうしたい。NZ行きたいとか。
世界を旅行したいとかも。
でも私の場合、行動にフォーカスされた夢とかだとパワーがあまり出ないんですよね。
それよりもどういう状態なのかの方が力が出ます。
長い英語のトレーニングの中で、自分がしたいことが大きくなり。
自分がどういう状態でありたいのか、どういう自分になりたいのかが消えていたような。
楽しくないならやめたらいい。
でも、やめないのはなぜ?
楽しくないのに、苦しいのに、ひたすらトレーニングしているのはなぜ?
って自分に聞いたところ。
そもそも言語が好き。→ 言葉が起こす力に興味がある
違う国の文化が好き。→ 多様視点とか多角的な考えを好む
新しいことを知ることが好き。 → 自分を成長させたい
ということは。
英語を流暢に話せることが人生の目的ではないわけです。
英語を話す。これは、目の前の板。
そのさきの、何か。
自分が成っていたい姿や自分の本質。
Will they help me の順番が間違ってて、“間違い“って言われて、悲しむ暇なんてないはずなのに。
どうしても、正しくありたいわけです。
これは多分大人病じゃないかと。
だから啓蒙本が売れまくるわけで。
間違った人生を送りたいくないから。
そりゃ、誰も間違った人生なんて送りたくない。
けれど、人生に正解とか間違いとか設定することが問題じゃないかなと。
そして、今。
心がふわっと軽く成ったわけです。
正しさじゃない。
間違いとか正解じゃない。
自分は、10年後どうなりたいのか。
どこで、何をしていたいのか。
そこを目指して、行く。
英語なら、ムーンショットっていうのかな。
言語の学習過程で、人生を学びよる。
ということで、これから先も間違いまくる言語学習過程を受け入れて、毎日トレーニングして何か変化を待ちます。
多分、過去で一番、壁に突き当たっているので、近々飛躍するのでしょう。