|Od roku 2019|
チェコ語学習|902日|2年5ヶ月と20日
ヒアリング時間|1582時間
言語学習の最高の上達方法は、継続すること。
最近ではこんなことばかり書いているけれど、これが真実だから仕方ない。
確かにこの世界には、天才がいる。
しかも少ない努力で。センスというものの塊のような人たちがいる。
しかしそれは少数派だ。少数派の意見を鵜呑みにして自分を卑下してはならない。
あらゆる情報は、あなたをダメな人間だと思わせるようにできている。
だからこの商品を買わなくてはならないと思わせるようにできている。
世界に踊らされない世界を自分で作ろうとしているのに、世界に踊らされては本末転倒ではないか。
このブログは、最初ビール好きがチェコ語を学び始めたという流れでスタートしている。
今では、チェコ語の勉強をしているものの、言語そのものが好きになっている。
すでに、チェコ語のウェイトを英語がこえていて、もう1人の自分からは毎晩空砲の蹴りを喰らっている。
でも、全然嫌な気がしていなくて。なぜなら、このように何かを継続すると必ず大小の変化が伴うから。しかもそれは、良い部分も悪いと思われる部分も含めてだからタチが悪い。
チェコ語と英語とイタリア語が今の言語学習の一軍。
トレーニングしている中で最近明確になっているのは、言語は学ぶのではなくて、使いこなすものということ。
学ぶという行為は、なんだか気持ちがいいし崇高だ。
何かを学んでいますというのはこの日本の大学至上主義とも似ているのか。
それとも、吉田松陰の塾をはじめとする、学びこそ人を向上させるという歴史の教科書を使ったプロパガンダなのか?
今日も、ある人が、何かの記事を送ってきたけれど、私は基本的に知識が嫌いだ。
その情報を知ったらどうなるのかという結果に興味がある。しかしその人からは、あなたはビールが好きだからアルコールの歴史について学んだことをぜひ聞いていただくてと、言う。
私が好きなのは、アルコールではない。
私は、ビールが好きなのである。
これが人が相手のことを考えずに、自分のことしか考えていないことの一例。
アルコールの歴史なんて、それがエチルなのかなんなのかを知ったところで、私のビール好きの何が変わるのだろうか。それよりも、チェコの醸造所の一つを教えてくれた方が私は小躍りする。
真実は、情報や知識ではない。
誰かが先人を切って開発した方法論でもない。
自分が生きた道こそが真実であり、その道が辛かろうと喜ばしきこと多き路であろうと関係ないわけだ。
経験したことのないことをあれやこれやと騒がしくいう人間より。
自分のあらゆる感覚を駆使して体感したこと以外に、何が大切だろう。
と、どうしてこんなことを書いたか。
それは、自分の中に言語のブレイクスルーの予感が高まっているからだ。
いつものように、言語化できないけれど、その時がきたら頑張って表現してみたい。