|Od roku 2019|
チェコ語学習|884日|2年5ヶ月と2日
ヒアリング時間|1556時間
今日はチェコ語のこと。
ある期間、日本語でどのように説明したらいいのかがわからなくなるターンがあった。
自分の中に、ある想いが芽生えたとして、その漠然としたイメージをどのように言葉として相手に伝えたらいいのかを考えすぎて言葉が出なくなった。その後(and then)日本語の使い方が上手ですね、と時々言われるようになった。最近は、よく言われるようになった。
そう言われる要因。それは相手と言葉を超えたところで向き合っているからだと、自分では分析している。人は話す言葉が全てではなくて、言葉にしていないが考えていることがたくさん脳内に存在している。なので、会話の中からその人が考えていることを推測する癖がいい方向に作用しているのかもしれない。
言葉として口から出てくることが全てではないという感覚は、チェコ語のトレーニングにも反映されている。全単語の意味を理解しなければダメという母国語感覚で向き合うと相当ストレスになる。なぜなら学習初期において、わかる単語や表現は数%だから。
それよりも、このフレーズが一体何を言わんとしているのかを考える癖をつけることで、予測する力が身についていく。書いてあること、話していることが全てではなくて、これらは全て脳内に存在する想いの二次創作だと思っている。今は、その間にある<溝>のようなものをどうやって埋めたらいいのか、が悩み。
初期段階を超えてからの方が、言語のトレーニングは壁が多い。簡単な挨拶ならできたとしても、自分の脳内思考と言葉を結びつける作業は難しい。おそらく、この作業は永遠にしなければならないだろう。日本語を完璧に使いこなせないのと同じ。
この前、チェコ語ってどんな感じなのですか? と言われていくつか話した時、めっちゃ話せるじゃんというリアクションをもらったけど、それは単にいくつかの使えるフレーズを記憶しているだけで、チェコ語で思考することはまだまだずっと先。(思い込みかもしれないが)
英語では、together の単語で、自分と誰かをイメージできるようになってきた。
じゃ、今私が感じているチェコ語はどんなイメージか。
チェコ語には、<se>という単語がある。後、単語が変化しまくる。だからこれを理解するのがめっちゃ苦労したけど、最近はそんなもんだということで気にならなくなっている。動詞についていることが多い。
Setkat se § 会う
こんな感じ。
でも文章内では、この二つの単語は逆転する。
Právě se setkávám s přítelem.
会うの単語が、変化しているから、この単語だけで、<複数>だとわかる。
次はこれ。
jak se dostanu na letiště § 空港にはどう行けばいいですか?
一番最後の、単語が空港を指す。この空港という単語を知らなければ、空港に行きたいということは伝えられない。この部分が語彙力が必要だと言われる所以だと思う。
でも、その前の基本構造である部分<jak se dostanu>を知らないと、空港はおろか、どこかに行きたいという思いを伝えることができない。
銀行に行きたければ
Jak se dostanu do banky.
なぜ、<〜に>に相当する単語が<na>と<do>で変わるのか。昔はそんなことを気にしていたけれど、最近は使い続けたらわかるだろうくらいであまり気にしていない。チェコ語のルールとして行きたい場所の前に付く単語なのねと思うだけで終わり。
それよりも行きたい場所を思い浮かべたときに、基本部分が出てくるトレーニングをひたすら続けることが大事だと思う。
前半部分で、考えていることと、言葉にすることは違うという話をしたけれど、それはこれから。
例えば、空港にはどのように行けばいいですか? と、空港はどこですか? は似ているけど表現方法が違う。そして、自分の中にある本当の想いは、<私は空港に行きたい>なのだ。
今行きたいから行き方を聞くシチュエーションと、後々のことを考えて、今場所だけ確認しておこうと思うのは発生原因である想い<私は空港に行きたい>が同じでも表現方法が変わる。
この前電車で、ベトナム人に、<この電車は〇〇に止まりますか?>と聞かれたけれど、それは<私たちはその駅で降りたい>という真意がある。
ちょっと哲学風だけど、相手の話の中からその人の真意を同時にキャッチする力は言語のトレーニングで手に入るスキルだと思う。このスキルが勝手に高まっているから、なんでこの人は私の気持ちがわかるのだろうかということになる。
日本人同士は言葉が分かりすぎるから、相手の話を聞き流して聞くことが増えてコミュニケーションエラーがよく起こるようになる。相手の話をちゃんと聞くことはコミュニケーションスキルの最も大切なこと。