ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

As a man thinketh in his heart, so is he

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|Od roku 2019|

チェコ語学習|870日|2年4ヶ月19日

ヒアリング時間|1540時間

 

 

今日は、ペラペラの定義、なんなの? という話。

 

英語を全く話せない人からすると、英語を話せる人は、すぐにペラペラになる。

 

この人ペラペラよという人がいるとして、その人のレベルがどのくらいなのかって一体どうやって測ればいいのか。を、測るためにテストやらが存在すると、皆が思っている。はず。

 

皆が知っているであろうテストの点数が600から700くらいの人は、話せない人が多いというのを英会話スクールの人から聞いた。

 

最近の私の体感でいうと、読んで理解したり、声に出すことができるフレーズがいくつかあったとしても、自分の思考で文を組み立てるのは最強難度。このレベルに到達したらおそらくそれがネイティブという領域になるだろうか。ある程度文法が頭に入っていて、語彙力もあってという話では解決できない世界がそこにはある。

 

けれど、ある程度文法に沿って英会話ができる人も、ネイティブレベルの人も、総じてペラペラになるわけだ。日本人が英語を話せるだけでその人のことをペラペラだという。

 

最近知り合った同時通訳の人はいう。

字幕で映画?

今の僕でも難しいのに、そんなの目標にしたら、その前に死ぬかもよ。くらいに難しいから。

 

それなのにどうしてだろう。なんとなく映画を字幕無しで見ることがなんとなくのゴールみたいになっているのは。

 

例えば、ロサンゼルスに行って、ある程度の行動を自分の英語力でこなしたらそれはある程度目標達成と言えるのではないかな。

 

と、ここまで書いて結論は、自分が到達したいレベルを自分で認識しない限り、言語学習には終わりがないし、まずはここまでというマイルストーンを設けた方がいいのではないかなという話である。

 

それほどに、日本人は、ペラペラの定義を広義にとらえすぎだと思うのだ。

 

<これをください>を、何も見ずにチェコ語と英語とイタリア語で言えるのはペラペラではない。それは記憶力だと思う。

 

私の中での定義は、それぞれの言語で、ディベート(議論)ができて、初めてペラペラじゃないかなと思う。それ以外は、学習上級者、学習中級者。くらいの枠組みでいい気がする。

 

英会話スクールの先生はこうも言う。

 

<ある程度わかった状態>からが言語は一気に難しくなるからそこを超えたら、幾つもの言語をマスターできるようになる。いくつ壁があるのだろうか。

 

と、ここまで書いて。

 

いずれ他言語話者になる前提で生きているので、なんでもいいけどねって捻くれている自我が存在していたり、そんなこと関係なしに、言語のトレーニングを楽しんでいる本体の自分がいたりする。

 

この感覚、以外と好き。

 

なぜなら、<いずれどこかのタイミングで>チェコ語も英語もイタリア語もネイティブレベルになるって知っているから。