ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

Pokud něčemu nerozumíte, nedělejte si starosti./ If you don't understand something, don't worry.

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|Od roku 2019|

チェコ語学習|843日|2年3ヶ月20日

ヒアリング時間|1513時間

 

言語学習をしていると感じること。

それは、完璧を求めることの弊害。

日本の教育というか、世界中の教育の方針として私が最もよくないと思っていることは、全てのスキルを点数化していること。

 

ビジネスでも、売上とか成長率とか、株でも、高騰率とかをやたらと重視する。

 

確かに数字があると他の人にも説明しやすいし、自分でも確認するのが楽。経営目標とかを定めるのを、『なんとなく本気で前年をこえる売り上げを達成する』って言っても、具体的なことを感じることができないし、人に説明することもできない。そういう意味では、数字はとても役に立つ。しかし、数字の世界に慣れすぎた私たちはすぐに数値化できる指標を求めてしまう。

 

この数値化は、同時に完璧さを人間に強要する。

 

例えば、TOEIC。満点とったところで、その点数がその人の英語レベルとequalなわけではない。けれど、他の人に説明するときに、あなたの英語レベルは? と聞かれて点数を言ったら楽なのだ。点数が高いのに、話すことのできない日本人がどのくらいいるのか統計とりたいくらい。

 

それほどに、言語のスキルとして点数化されたものと、実際の言語スキルは乖離している。

 

逆に点数を頭の中から排除したらどうなるか。今の自分のポジショニングがわからなくなり、それがmotivationと直結する。

 

この辺りは、目標至上主義の現代の世界観にも関連する。

だから私の苦手な世界観ではある。

 

何回もここで登場させているけれど、この世界は、英語をペラペラな人と、全く喋らない人しかいないのではないかと思えるほど、情報が二極化されている。

 

全く英語を話せない人が、ペラペラな人の動画を見るという時点で、なんかおかしい。

5歳児が、東大の授業を見ているようなものだ。それなのに、話せない人は、話せる人の動画を見まくって、さも自分がこれからそのような人の仲間入りをするかのような錯覚を覚えさせる。

 

全く喋ることのできない人は、同じレベルの人と交流した方がいい。同じような例えはいくらでも出せる。野球始めた人が、ピアノ始めた人が、いきなりプロの動画を見て、自分との比較をして、モチベーションが上がるだろうか。否。

 

それなのに、なぜか言語学習に至っては、思い切りネイティブな人から学ぶという思い込みが横行している。自分と同じレベルの人と切磋琢磨するのって、幼児がやっていることに似ている。公園の砂場で、コミュニケーションすることは、同じレベルの人との交流だから言語力が飛躍的に伸びるのだ。

 

とはいえ、これは個人的な考えだから違う可能性もある。

 

どんなレベルでも、学習中の言語を完璧に理解しようとする努力をやめると言語力が飛躍的に伸びるという法則がありそうな気がする。のだけど、それはまた違う時に記録した方がいいかもしれない。