ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

Děkuji vám za všechno. Gratuluji vám.

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|Od roku 2019|

チェコ語学習|793日|2年2ヶ月と1日

ヒアリング時間|1461時間

 

今日、スーパーで買い物をしていた時のこと。

何気なくかかっていた洋楽の歌詞を聞いたときに、

 

誰かがいう。僕が無敵だと。

 

みたいな英語の歌詞だったのだけれど、その英語の歌詞を聞いたときに、そのまま理解できる瞬間があった。これまでもいくつかその予兆はあったけれど、今日ほどはっきりと英語のまま理解できる瞬間は無かった。

 

そこで、今日は、英語といわず、日本語以外の言語を理解するとはどういうことなのかを言語化しようと試みてみる。

 

前からちょいちょい言語化を試みていたのだけれど、チェコ語にしても英語にしても、まずは日本語の構造で理解しようとする癖を無くすのが先決だと思う。でもどうやってその癖を無くすのかについては、まだ未解明。ただし、ただひたすら第二言語に触れる時間を増やしていくは絶対的に必要な作業だと思う。そんなのわかっとるわ。と多分2019年の私なら言うだろう。でも、この触れる時間を増やすのは相当苦労する。なぜなら、毎日1時間トレーニングしているから大丈夫という妙なルーティンが自分の中に出来上がることで、学ぼうという能動的な姿勢が失われるからだ。

 

毎日継続することに意義があると、信じているのはいいけれど、この継続に甘んじるとそれ以外の成長がピタッと止まる。

 

例えば、ただひたすら毎日チェコ語の単語をノートに2時間書き続けているとしよう。個人的には毎日学習しているのだから、いつの日か話せるようになるだろうと思ってしまう。けれども、話すことの本当の意味を理解しなければいつまで経ってもただ語彙力だけが増えていくだけで話せるようにはならない。

 

私がいつの日からか勉強・学習という言葉をできるだけ使わずにトレーニングという言葉に変えたのは、言語をマスターするのは学びではなく使い続けることだと思ったから。その自分でさえ、実際にどのようにしてトレーニングしている言語をマスターできるのだろうかと不思議に思いながらトレーニングをしていた。

 

で、一個だけ結論じみたことを書くとしたら、前述したように、徹底的に日本語の構造を忘れることが第一前提だと思う。今朝のスーパーで聞こえてきた英語の歌詞を理解したのは日本語の語彙力だけど、そのプロセスは多分以下のこんな感じ。

 

耳がまずは聞こえてくる英語の音声と単語を一致させる。

例えば、something people say, you're never die.

この英語のフレーズと単語を一致させた後、脳は、理解できる単語を日本語に瞬時に変換する。この部分が語彙力必須。しかし、わからない単語があっても、わかる単語だけでフレーズを瞬間変換できる。わからない部分が<>になって空白になっているようなイメージ。

 

この時、日本語としてはかなりメチャクチャな構文になっている。脳内で。

次に、このバラバラな構文をもとに、相手の言っているフレーズの真意が日本語の意訳として頭の中にイメージされる。

 

上記の英語だったら、教室で自分を馬鹿にしているクラスメートの映像が浮かぶ場合もあれば、街中で見ず知らずの人に囲まれて指を指されているイメージでも良い。要は、自分以外の人間の存在があり、その人が自分に対して言っているセリフだというイメージが浮かんでくるのだ。まだこの時も、英語と日本語の中間のイメージが頭にあるだけで、明確な日本語があるわけではない。

 

じゃあ、いつになったら日本語のフレーズとして完成するのか。

それが今日の言語化の結論だけど、結果的に、日本語の文章は最後まで作成されない。

これが日本語の構造を消し去ることの意味。

 

私は初期の頃、聞こえてきた英語やチェコ語を日本語として理解しようとしてきた。

ついで、日本語化をやめてみようと試みた。

それでも日本語の直訳を復活させたり、意訳で考えようと試みたりした。

 

これまでの変遷がどこかでいい影響を及ぼしているのかもしれないけれど、相手から放たれれう英語の単語がこっちにイメージとしてヒュンヒュン飛んできて、それを元に相手の言いたいことの真意をイメージで理解する。

 

 

この先にペラペラの感覚が待っているような気がする。

何ヶ月か前に、英語のジョークがなんとなくわかった気がして感動した記録があったけれど、その感覚がとても大味だとしたら、今はその味がとても繊細になったような感覚。チャーハンと、ラーメン、餃子。のAセットが前回だとしたら、今回は、そのメニューがもっと奥深く、エビレタスチャーハンと、白坦々麺に、鹿児島産黒豚の手作り餃子になった。みたいな。

 

大まかなイメージじゃなくて、具体的な映像が浮かぶような。。

なんか全然違う気もするw

 

思い返せば。

ビールだってそうだった。

最初は、ラガーとエールから入って、それぞれの発酵スタイルを深掘りして、自分の好きなスタイルを探し、そこから国ごとの味わいやクラフトビールの世界を知ってハマっていった。

 

言語も似たようなラインを通っている気がする。

だから、ビールとチェコ語だったのか。

 

そして、日本語のことわざは完璧だ。

石の上にも三年。

石の上に座り込むというなんの変哲もないような行為でも、三年やれば何かが起きるという意味だったような。本当か?w

 

とにかく、今年の11月でチェコ語を学び始めて、三年が経つ。

最近またチェコ語を復活させたのも、今からが本当のチェコ語のトレーニングだと感じているからだ。長い助走だったわ。

 

そして最後に気づく。

二年前の今日、この記録をスタートしたことを。

 

I say congratulations to me.