|Od roku 2019|
チェコ語学習|790日|2年1ヶ月29日
ヒアリング時間|1457時間
今日は、久々に雑記。
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親戚に、クリエイティブな人がなぜか多い。
趣味でドラムを叩きながら、プロのビデオカメラマンとして活動している人もいれば、インフルエンサーをしている人もいたり、デザイナーもいる。
何を持って普通を定義したらいいかわからないけれど、普通のサラリーマンが少ない。
生き方は人それぞれだから、特に何も思わないし、自分だって寅さんみたいに気が向くままに旅したり遊んだりしながら生きている。
でも、そういう生き方を心から嫌悪する人種もいるわけで、私はそういう人と気が合わない。好きとか嫌いのカテゴリではなく、気が合わないので、あまり話したいとも思わないし、友達になりたいとも思わない。
そして大概そういう人たちは、口だけで実行力がない。
こうしたいんだけど、の後に何かしら理由をつけて行動しない理由を語り出す。
言語のトレーニングを継続して分かったのは、一番の才能は継続して何かを続けることだということ。ドラムを趣味でやっている親戚は、趣味とは言えないレベルでスタジオミュージシャンとかもやっているから、単にそれだけで食べていけないからカメラマンをしているだけな気がする。本人に聞いたらカメラもドラムも好きだと言っていたけれど両者に共通するのは、60歳を超えた今でも、毎日継続して練習をしていること。それはドラムもカメラも同じだ。
毎日継続して何かを行い続けると、日々の成長から解放される。自分の中で何かを変えたいと思ったのならゆっくり変えて行く必要がある。ある程度速度の出ている車が急に止まれないのと同じように、ある程度人生を生きた人間は急には変われない。まずは今の流れを止める必要があるからだ。私の場合、ずっと日本語を母国として生きていたこれまでの人生。2年経過してようやく、日本語以外の言語に慣れてきたけれど、それでも早くなんとかしたい自分が半分いるから、早くマスターしたいという願望は常に並走している。
でも、学習開始当時に比べたら大きく変わったことがある。それは言語のトレーニングを、これからずっと、おそらく命が続く限り続けていくだろうということ。
ほとんどライフワークに切り替わっているから、頑張っている感覚も、成長したい感覚も薄くなっている。
今月半月しか経っていないのに、なんだか一週間が長い。今年、何ヶ月も経過したような感覚になる。
時間軸がずれてる?