|Od roku 2019|
チェコ語学習|783日|2年1ヶ月22日
ヒアリング時間|1452時
すこし前に公開されたアニメ映画を久しぶりに観た。
公開当時、映画館で観た時もすごくいい映画だと思っていたけれど、今見返しても好きな映画だった。
大人になると、いろんな経験をするから同じ映画でも観たときの感じ方は大きく変わる。
その変化は、映画自体にあるわけではなくて見る側の変化なのに、映画自体が違うものとして感じられるほどだ。
今は、デジタルな世界だし、人間の脳みそも白か黒かを決めて切り捨てる思考が多くなっているから、面白いか面白くないかだけで判断される。なぜ、自分は面白くないと感じたのかを内省する人は少なく、ジャッジすることで自分のアイデンティティを確立しなければいけない世界に変わってしまったと錯覚するほどだ。
味方と敵を分けて、それぞれがコミュニティを確立する。
前に観たときは、この映画の純粋性を感じることはできなかったけれど、今回は、この映画の違うメッセージを感じることができた。
少し前から自分の中で変化していることがあって、それは、自分が感じたことに正解か不正解かのラベルを貼るのではなくて、自分が感じたことをそのまま受け入れること。
言語を学ぶと視野が広がると誰かが言っていたけれど、いろんなことを多角的に判断する複眼思考が芽生えるのは正解だと思う。
かくいう私も、人を判断しながら生きていた。
今は、判断することを極力避け、そのままの状況を受け入れることができるようになった。
これが、変化していくことの喜び。
変化しないことはこの世界の法則に反している。
毎日言語のトレーニングをすることで、考え方も変わり、自分の費やした時間に対する結果にも寛容になってきたように感じる。自分で寛容という言葉を使うのは滑稽だけど、一番しっくりくる単語だ。
そして考え方が寛容になると、人との接し方も変わってくる。
この世界は変わり続ける。
けれどそれは、自分が変化しているからだと思う。
確かにこの社会は、自分とは違う世界線で変わり続ける。
映画を見てそんなことを考えた。
2022年は、選択の年。
第六波やら大寒波やらでクラッシュ気味だけど
個人的には、2022年は、とてもいい年。