|Od roku 2019|
チェコ語学習|773日|2年1ヶ月12日
ヒアリング時間|1441時間
よく大人の対応とか、大人だからという表現を聞く。
私の場合は、行動が18歳って言われるくらいに衝動で動くから、この、大人の対応というのがとても苦手だ。嫌なことがあったとしても、それを受け流して冷静に対応するのが大人。でもそれは違う表現をすれば嘘つきであるということでもある。
嫌なことは「嫌だ」と言える勇気を大人はどんどん忘れていく。
そして大人はとても周りに気を遣いながら生きる。だから自分の本音を知らないうちに忘れていく。
全てひとまとめにしていい行動をすることを大人だとすれば、それは子ども心を持った大人には迷惑な言葉となる。
もっと、大人になれよ。
いい歳して何してるの。
若いね、行動が。
これらの概念は全て、褒め言葉と皮肉と批判のちょうどど真ん中に存在している。
自分もそういう行動をしたいけれど。
その後に、たいてい言い訳がくる。
そのうち、言い訳する人生のまま終焉を迎える。
人の幸せはそれぞれである。
それは選択肢の数だけ幸せが存在するという意味でもある。
何が正解か。何を選んだら正解なのか、わからない中で。自分を信じるのなら、自分が選んだ選択は全て正解だと、根拠のない自信で突き進むしかない。
そのさきにどんな未来が待っていても、それは自分が選んだ結果なのだからその世界をちゃんと受け止めなければならない。それが自分が望んだものと違うのならまた別の選択をして未来を変えるべきだ。
この世界が今後どのような世界になろうとも、自分の選択が全てであることをもっと多くの人が思い出すべきだと思う。
垂れ流される情報や、本当は欲しくもない商品の広告に晒されていては、いつしか麻痺してしまう。自分の選択のようでそれは選ばされているかもしれない。
今日、髪を茶色に染めてみた。
ずっと坊主だったので、イメチェン。
見た目をコロコロ変えられるのが一番自由だと思う。
ほとんどの大人は、周りを気にしながら狭められた選択肢の中から選ぶ。
本当の自由は、狭められた選択肢ではなく無限の可能性から選ぶこと。
今年も残り2日。
2022年以降は、自己選択が鍵になる。そんな気がしている。
AIが叫ばれているけれど、人間が無思考状態になりつつある中で、人間がAIに近づいていることに気づいている人はいるのだろうか。
選び続ける人生と、選び続ける表現。
外国語のトレーニングも3年目に入って、今年は情報を遮断することを覚えた。
来年は、あらゆる表現から選択することに意識を集中させる。
言語を学ぶことは思考が拡張して広い視野を持つことができるので、ペラペラになることだけを目標にトレーニングするのではなくて、このトレーニングプロセスの中で何を感じるのかに集中するともっと多くの人が言語のトレーニングを楽しめると思うのは私だけだろうか。
この辺り共有できる人が私の周りには少なすぎる。