ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

言語学習|コミュニケーションツールとしての言語

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|Od roku 2019|

 §  チェコ語学習|680日|1年10ヶ月と10日

 §  ヒアリング時間|1354時間

 

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youtu.be

 

この人は、チェコ人でポリグロット。

この人が、動画の中でちらっと話をしているアプリ。

それが、これなんじゃないかな。

 

 

確かにこのアプリは、凄まじく良い。

これに変えた瞬間から英語力とイタリア語力が上がっているから。

チェコ語がないのが残念である。

 

 

最近のプチ変化は、英語の構造がちょっとだけわかってきたこと。

前は、英語の意味とかイメージとかを追いかけていたけれど、構造がわかると、前からそのまま訳すことの意味がわかってくる。

 

例えば

|What do you want?

君は何が欲しい?

で覚えてしまうと、英語のまま理解することから遠くなる。

 

これを直訳にすると

|なに する あなた 欲する?

になる。

 

でも、

意味を訳さなくなることに慣れてくると

 

どうしたいの?

とか

どうなりたいの?

とか

何を求めているのかというフレーズの意味が消えて、コミュニケーションツールとしてのフレーズに変わる。

 

ここが腑に落ちると、チェコ語もイタリア語も今までとは違う顔を見せる。

 

チェコ|co chcete?

イタリア|che cosa vuoi?

 

何がしたいの?

という日本語のフレーズと

これらのフレーズが一致しなくなる。

概念崩壊だと思う。

 

一年半くらい前に書いていた、チェコ語の|こんにちは|は|Dobrý den|だけど、それは|こんにちは|ではないと言う、なんだかよくわからない表現をしていたことが完全に腑に落ちた気がする。

 

自転車の乗り方だって、右足を踏み込めば進み次は左足を踏み込むって考えない。車の運転だって、これがシフトレバーで、バックするときはRにして、右に回る時はハンドルを・・・とは考えない。

 

体が勝手に動く。

この現象がおそらく言語学習においても起こる気がする。

 

耳に入ったチェコ語や英語をいちいち翻訳したりイメージしたりせずに、そのまま耳に入った通りに納得できるようになってきた。

 

英語の映画を字幕なしてみて、英語のまま感情移入できるようになったのもこの心境の変化だと思う。

 

少し乱暴で、過激な言い回しで表現すると。

ハリウッド映画は、日本語訳はない方がものすごく刺さる。

この感覚がわかっただけで、言語学習の喜びは終わった気もする。

 

あとは、この感覚を少しずつ拡大させればいいだけだから。

これが言語を習得する道なのだと思う。

これまでの名詞をひたすら覚えるターンに意味がなかったとは思いたくないけれど、これがおそらくショートカットなのだと思う。

 

***

 

|What you are name?

|come ti chiami?

|jak se jmenujete?

 

これを日本語で集約させてはいけない

日本語に集約させると、|あなたの名前は?

の各国の表現という認識をいつまで経っても超えることができない。

 

でも、これが三つの別々の言葉だと認識すると、日本語が消えて、その国の人になったつもりになる。なったつもりで脳を完全に切り離してしまうと、チェコ語やイタリア語を英語と同様に理解できるようになる。

 

日本語は、日本語。

チェコ語は、チェコ語

イタリア語は、イタリア語。

英語は、英語。

 

言葉にすると当たり前すぎて、表現がチープになるけれど、そういうこと。