チェコ語と、ビール。

Český jazyk a pivo

旅人|No.2 Travel to Nagasaki

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|Od roku 2019|

 §  チェコ語学習|669日|1年9ヶ月と29日

 §  ヒアリング時間|1324時間

 

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長崎に滞在三日目。

 

朝七時半から活動開始したから一日が長かった。

 

まず諫早に立ち寄り、その後長崎市へ。

長崎駅に行く前に、その一つ前の駅で降りて「平和公園」へ。

 

 

なんとなく、「生と死」について考えている。

だから、まずは原爆資料館へ行った。

 

今の日本は、当時に比べたら平和だと思う。

おそらく想像もできないほどの苦難が当時に人々の前には広がっていたのだろう。

理解を超えているし、同情するほどの知識も持ち合わせていない。

順路を進みながら、「今の日本は平和だ」と言葉にして並べるのも滑稽だと感じた。

 

自分の中に沸き起こっている、生きることとは何か。その答えが見つかればいいなと思っていたけれど、残された残骸を見たり写真を見たり、残された当時の展示物を見る中で、あまりに衝撃的すぎて次第に呼吸が辛くなっていった。

 

善悪で判断せずに、一段高い位置で俯瞰して考えると、アメリカが悪で、日本は被害者みたいに結論づけるのもなんだか違うかもしれないとの思いが芽生えてくる。

 

そしてもう一つ。

当時の写真を見ると、日本人は、今の日本人と何か表情が違っているように感じた。

気概みたいなもの、気合いという表現が正しいかもしれない。

戦時中だからというのもあるかもしれない。

でも、幕末の写真にも繋がる日本人像なのだ。

 

今の日本人は、何か違う。

神の国から物質の国になったからだろうか。

よくわからない。

 

当時の軍国主義は全く肯定できないけれど、日本人の「気」を大切にする精神は今は少ないのではないだろうか。

 

 

長崎の人がなんとなく他の県の人と違うと感じるのは、平和に対する教育が他の県よりも多いからだろうか。と自分の中で一つの仮説が立つ。

 

原爆資料館を後にして、少し放心状態だったので、平和公園のベンチで休む。

アメリカはアメリカの正義があった。

日本には日本の正義があった。

お互いが正義を掲げ戦った戦争。

後からなんとでもできる情報操作。

 

もっといろんな景色を見て

もっといろんなことを吸収して

 

今後、おそらく日本以外の世界を見ていくだろうから、その中で人間が人間に対して行ったことや、肉体的な「生と死」について考えていこうと日陰のベンチで風を感じながら考えた。

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空の青さと緩く吹き抜ける風が、とても気持ちよかった。

 

 

公園からの帰り道。

行きとは別のコースを通ったら、まだチェコスロバキアが一緒だった頃に寄贈された像を発見。

 

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その後、出島とグラバー園を訪問。

 

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長崎は、オランダの「蘭」、中国の「華」、日本の「和」を、日本、中国、オランダの順で並べて、「和華蘭文化」が育ったと書いてあった。

 

オランダとはいえ、イギリスとかの文化も入ってきているし、キリスト教の文化も入っているし、その中でお寺とかも同居しているから、特殊な雰囲気がある。

 

これほどいろんな文化が融合している場所だから、拒否とか拒絶、排他的な空気が少ないように感じる。

 

長崎は「受け入れる文化」が今も続いている気がする。

 

今回の一人旅では、学生の時に修学旅行で行った時の記憶(山からの夜景とか、鼈甲のお土産とか)をアップデートして、新たな長崎像を形成することができた。

 

 

拠点としている大村に戻って、今回の旅の最後の夜を楽しむことにしよう。

 

まだまだ行きたい場所がある。

どんどんと増えてくる。

 

それはまた別の記録。