|Od roku 2019|
§ チェコ語学習|616日|1年8ヶ月と8日
§ ヒアリング時間|1191時間
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いつ起こるのかはまだ不明だけど。
今日は、なぜか頭の中がトルコ語で溢れていた。
しかも急に。
メルハバ(こんにちは)
と
アドゥンネ(あなたの名前は?)
がぐるぐる回っていた。
チェコ語もそうなんだけど、覚えているフレーズや単語以外のフレーズが急に頭に浮かんで離れなくなることがある。
今回は違う言語。
確かにトルコ語は最近急に学習時間のウェイトを増やした言語。
だからと言って、頭の中をずっとメルハバ! って音が響くのは少々厄介である。
この現象は一体なんだろう。
そういえば、ずっとチェコ語を勉強していると、イタリア語とかが頭の中を占拠することがあったような気がする。
脳が混乱状態ということなのだろうか。
それか
脳は、一旦混乱状態を経て、統合されるということなのだろうか。
それか
脳内のトルコ語の領域を確保したということなのだろうか。
よくわからん。
言語の学習って、日々の成長は感じられないけれど、コツコツやることで、ある日突然、あれ? という感覚が起こるのはここで再三書いている通り。
言語って、本当に数学と違って、解が導きにくい。
この数値を出せ。と言われた方が楽かもしれない。
それくらいに言語のトレーニングは、今この瞬間に答えが出しにくい。
陸上競技で例えるなら、完全にマラソン。本気で、100m走って、タイムを短くするという種類ではなくて、あるところで力の入れ方が変わってくるけれど、全体で考えなければならないトレーニングだから、好き嫌いが分かれると思う。
マラソンを本気で取り組んだことないから、何も言えないけれど。
私は元々継続は苦手だったから、ビール好きというキーワードが、継続を後押ししているのは薄々感じている。
なんで今日はトルコ語縛りだったのだろうかと考えながらも、頭の片隅では、色々な言語がこの世界に存在していることを脳が受け入れてくれた証ではないかと勝手に解釈している今日。
脳って、一旦受け入れたら、結構やばいくらいその方向性に突き進んでくれる。
逆にいうと、自分が幸せになるのは、無理。と脳が受け入れていたら、その方向にめっちゃ突き進むから、ポジティブな解釈が難しい。
自分は幸せを選択する能力がある。
と脳が受け入れた時、奇跡のような自体はぽんぽん起こる。
同じように
自分はたくさんの言語をマスターする能力がある
と脳が受け入れた時、奇跡のような言語体験が待っている。