|2019-|----------------------------------
§ チェコ語学習|576日|1年6ヶ月と29日
§ ヒアリング時間|1136時間
§ 学習トータル時間|1702時間
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|2021-|-----------------------------------
§ イタリア語学習|151日|
§ ヒアリング時間|30.9時間
§ 学習トータル時間|18.9時間
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もしも時間の概念が、私たちが知るものとは違うものだとしたら。
今やっている作業が、未来とは全く関係ないとしたら。
それでも毎日のルーティンを続けるだろうか。
私たちは、未来を想像することができる。
でも過去に囚われることもできる。
どっちを選ぶかは自分自身に与えられた選択権だ。
過去を思って虚しくなるのもいいし。
未来を憂いて虚しくなるのもいいし。
およそ一年半前にチェコ語を学び始めて。
ブログで記録しようと思って。
結果的にチェコ語学習は500日を軽く超えていてもうすぐ600日。
当時思っていた未来と今は全く違うこともあれば想像通りでもある。
今のチェコ語のレベルがどうなんだ?
という意識もあるけれどそんなアホな思考は無視して、毎日のチェコ語学習が楽しいということと、文字化できない、言語学習の楽しみを知り始めている現実があるという事実。
わかっていることが一つあって。
それは、チェコ語ネイティブレベルになる事実。
少しずつだけど、チェコ語で考えて、チェコ語で話すことができるようになっていることが、学習当初からすると進歩だけど、今の延長上にある未来だと現実のデータをベースに未来を構成している。だからプロセス重視になってしまう。
プロセスを一旦全部捨ててみて、チェコ語ネイティブレベルになる事実だけを知って(認識して)いれば、その未来は願いとか信念ではないから、必ず起こる。
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最近映画を見て急にレベルアップしたと体感しているのは、下の出てくる字幕と話している言語が全然違うことを楽しめていること。
「どう思う?」
と下に字幕が出ていても。
聞いた音だと。
|これを聞いて私に訳せ
だったりする。
良いか悪いかじゃなくて。
言語ってそういうもの。
改めてこの映画をみて言語のことを学んでいる今の自分にぴったりな映画だと思った。さまざまな示唆に溢れている。
<ネタバレ>
主人公の能力が未来を観る能力であることが最後に明かされて、その結果現実を変えるというSF。
未来が視えるということは今やっていることの結果がわかるということでもあるけれど。
今はまだ知ら(認知して)ないとしても、自分の本当の願望がすでに在るという解釈もできる。
ただ、試練もある。必ず訪れる悲しい現実を知っていたとしても、その現実を生み出すための行動をするだろうか。
主人公は、娘を亡くす未来を知っていながら、それでもその現実を選ぶ。それは、その一番最後の結末の悲しさを超える日々の一つ一つが喜びであることを知っているから。そのようなことを主人公は言う。
未来が視えるのは嫌だという人もいる。
けれど
未来が視えるのは、本当に楽しいし
現実を作るのにも役立つ。
主人公が言語学者なので、言葉に関する納得の台詞回しが当時映画館で見た時とは違う印象を与えてくれた。
そしてこの映画の公開は2018年。映画館で見た時はまだ自分が言語を学び始めるとは想像もしていなかった。でも、この映画をどうしても見たいという衝動があった。
今改めて観ると、主人公が言語学者であることも若干忘れていた。
結局、自分の直観は、ちゃんと未来を知っている。逆に思考はいつも、過去の思い出や将来の不安で自分をがんじがらめにしようとする。知らないからだ。そして理屈で安全を創り出したいと思っている。
でも、現実的には、思考よりも直観の方が安全でパワーを持つ。あらゆる情報を得るために検索をしたり頭に情報を埋め込んでいけばいくほど、思考の方を信じる方に傾く。直観が囁く声はどんどん消えていく。消えるのではなく、聞こえなくなる。
言語を学ぶと、思考が変わる。
これは本当だ。
そして思考が変わるとは、脳のネットワークの再構築を意味する。聞いたフレーズの中から、知っている語彙をつなぎ合わせて理解しなければならない。
映画を観ているとわかる。英語の音声と日本語の字幕と自分の脳の理解がバラバラに三つ存在していて、パラレルで処理しているのを体感する。
現実は、認識。
誰かがこう書いているとする。「同時に言語を学習するのは良くない。一個の言語をマスターしなければ脳は効率的に吸収してくれない」
この現実は、その発言者の現実であり、私の現実ではない。その情報を無視して、実際やってみた先に、自分の現実がある。
誰かを批判したくなる衝動があったとして。そんな時、自分がなりたい姿は誰かをジャッジする人生なのかと自分に聞けばそのジャッジ思考は消える。
これを応用して、ネットの情報を検索せずに、まずは自分に聞いてみるという姿勢を今は大切にしている。