チェコ語と、ビール。

A record of my love for beer and languages

チェコ語|脳内ネットワーク作り

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|2019-|----------------------------------

§  チェコ語学習|564日|1年6ヶ月と17日

§  ヒアリング時間|1117時間

§  学習トータル時間|1672時間

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|2021-|-----------------------------------

§  イタリア語学習|139日|

§  ヒアリング時間|29.7時間

§  学習トータル時間|17.6時間

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チェコ語ポッドキャストを聞いていて、最近の変化。

聞こえてきた単語のイメージがパパパっとスライドショーのように切り替わる現象。

 

例えば、こんな音が聞こえてきた場合。

 

<モイエ ロディチェ>

 

そのコンテンツの制作者が過去に話している家族構成を既に知っている(話者は男性で、奥さんと2人の子どもがいる)だから、これからその人たちのことを話すことがわかる。

 

チェコ語も英語も便利なのは、最初の設定がはっきりとしているので、イメージしやすいこと。あと、チェコ語の場合、重要な単語もしくは強調したい単語がある場合はそれを最後に持ってくるという法則もある。

 

<ネイレプシー>とか<オブリベネー>と聞こえてきたら、自分が気に入っていることを説明していることが伺える。

 

前者は、中でも<最もいい>ことを表現したいときによく使われる。

後者は、<自分が気に入っている>事象を表現するときによく使われる。

 

ある場所に行きたいと思ったなら

 

|Chci jít

でもいいし

|Rád bych

でもいい。

 

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脳の基本的に仕事は忘れること。自分に重要ではないと判断したら忘れる。だから忘れてしまったことは良いことだ。

 

嫌な出来事をずっと覚えているのは、脳内に仕舞い込まれた記憶に痛みがあるからだ。多くの感覚を使って知った痛みは、忘れにくいようにできている。さらにそれは肉体的な痛みより心理的な痛みの方が強く残る。

 

だから「嫌だな」と過去のことを思うのは、自分が過去の記憶にアクセスしているのだと認識するとよい。認識するだけで、脳は、気づく。「過去の記憶にアクセスしていたな」と。

そんな時は、蛇口を捻って水を流すイメージとか、自分の脳が過去の記憶にアクセスして発生したものを流す具体的な動作を思い浮かべるといい。

 

脳内のネットワークは不思議だ。善悪の判断はしない。

ただ、動作するだけだ。機械的と表現してもいいくらい。

 

だったら、毎日チェコ語を入力して、少しずつネットワークを形成すれば必ずチェコ語を話せるようになると理論上は結論が出せる。

 

で、忘れていく単語のなかのほんの少しずつが、忘れない単語に変わっていく。

 

忘れない単語は、自分がいつも使う単語とは限らない。

全然関係ない<蛇皮のカバン>とか。

これはずっと聞いているチェコ語の音楽によるもの。

その中の歌詞に出てくるのだ。

 

形はどうであれ、蛇皮で作られたカバンはイメージできる。

 

このネットワークが徐々に構築されたのを判断する材料が、耳に入ってくるチェコ語音声の明確度と、脳内で後追いできるフレーズの数。カラオケでテロップの色が変わっていく様に似ている。

 

前は、聞こえてくるフレーズ10のうち、2しか後追いできなかったのに、今は半分くらいは後追いできている。もちろん、何を言っているかがわかるとか、全ての単語を後追いできている

わけではない。

 

でも、この音なら、こんな単語だろうか。

とか

|na 〇〇

|do 〇〇

をセットで聴けるようになったりとか、細かい変化が毎日起こる。

 

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ペラペラの定義を自分で変えてみる。

 

言語を学習していると誰かに言うと、何か話してとか、ペラペラなの?

と聞かれる。

 

嫌な質問ではないけれど、答えにくい。これは自分が学び始めたからこそわかる感覚で、わからなかったら自分も同じ質問をすることだろう。

 

まず。

ペラペラは定義が曖昧。

何を持ってペラペラと言えるのか。

 

現時点では

チェコに行って、

|スーパーにビールを買いに行きたいのですが。

|どのように行けばいいですか?

とか、お店で

|カードで支払いたいのですが

くらいは、何も見なくても考えなくても話せる。

これはペラペラではない。

いくつかのフレーズを知っている段階。

知り合いの日本人と一緒にチェコに行ってその様子を見せたら、ペラペラだねと言われるかもしれない。

覚えているフレーズは大抵ずっと呟いて脳内に定着しているフレーズだ。

単語の並びとかあまりわからないので、スペルは間違うかもしれない。

でも発音はできるから、相手には伝わると思う。

 

どこなのか、誰なのか、いつなのか

これは、英語と違ってとてもよく似ている単語を使う。だから、いまだに間違うけれど、それでも、頭には入っている。

 

格変化とか複数形とかの単語変化は全く意識していないけれど、なんとなく語尾の|y|がポイントな気がする。みたいに、そこには必ず法則がある。例外もある。

 

法則は覚えるより繰り返して身につける方がいい。

 

今の所2%ペラペラくらいだろうか。

 

日本語ですら100%ペラペラかといえば、そうではない。知らない熟語はたくさん存在するし、言い回しで迷うこともある。

 

不思議なことに、他言語を学び始めて、日本語の言い回しを気にするようになり、日本語の発声瞬発力は下がった。咄嗟に日本語が出てこないケースが増えている。それは相手が何を言いたいのかを気にするようになったからだろう。

 

今までは、会話は無意識に行われていた。表現するなら反射的。

今は、知り合いと話す場合も、どこか意識的に会話をしているような気がする。

 

お店で、「店内でお召し上がりですか」を耳で聞きながら、チェコ語とか英語が影のようについてくる現象もある。

 

まとめると、言語学習は覚えるとか学ぶのではなく、脳内に日本語以外のネットワークを作る作業なのだと思う。

 

だから地道にやる必要がある。

 

もう一つ。

 

言語トレーニングは、メリットがある。

 

それはあまりにもコミュニケーションを想像しているからなのか、言葉とは違う、話者の意図が見える時がある。

 

あるお店で3人が会話をしている。サラリーマン2人とお店の人だろうか。

このコミュニケーションで、その会話は必要なのか?

と思ったシーンがあった。

そして感じる。

それは2人組のサラリーマンの1人が、別のもう1人に自分のポジションを示すための発言ではないかと。

そしたら、その発言の意味がわかる。

聴覚の異常な感度アップもある。

 

これからも注視していきたい部分だ。

 

 

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最近丸暗記しようとしているフレーズ

|Způsob, jak přetvořit svou realitu, je zaměřit se na to, co chcete.