ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

言語学習|構造=設定を理解する

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|2019-|----------------------------------

§  チェコ語学習|538日|1年5ヶ月と21日

§  ヒアリング時間|1066時間

§  学習トータル時間|1597時間

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|2021-|-----------------------------------

§  イタリア語学習|115日|

§  ヒアリング時間|27.2時間

§  学習トータル時間|15.1時間

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今日の読書

 チェコ人の方がお薦めしてくれた作家を読んでいます。

レイ・ブラッドベリ

 

 

お薦めしてくれた書籍は残念ながら日本語訳になっていない模様。

なので、こちらを読んでいます。

 

SF作家なので、設定を理解しなければなりませんが、設定を理解するのは言語学習とよく似ているのでそれは問題なし。

 

ただ、どうしても英語の言い回しを日本語にするのと、英語のまま読むのと、日本人の作家の小説を日本語で読むのは全然違う作業なので、そこが悩みどころ。

 

今日のビール

 

よなよなエール

言わずと知れた、ヤッホーの看板商品。

まあ、美味しいわけですよ。

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***

 

さて、この小説の世界観を理解することと、言語学習がよく似ているなと思ったので今日はそのことについて書いていきます。

 

小説というものは、作家が作った世界観を私たちがどれだけのめり込むかによってその体感度が変わってきます。

 

[共感]という言葉でも表されますが、物語世界にどれだけ引き込むことができるのかが小説家の腕の見せ所でもあります。

 

作品の途中から登場人物に感情移入して物語世界に入るものがあれば、物語世界そのものや、起こる出来事に興味を惹かれて物語世界に引き込まれる場合もあります。

 

外国の小説はどれだけ優れた翻訳だとしても、どうも日本語の意味合いとは違うようで、ある時(英語がわかり始めた頃)から、あまり読めなくなりました。

 

日本人が、日本人向けに書いた小説と、外国の小説の日本語版はやっぱり何か別物な感じがして、物語の中に入っていけないのです。

 

そもそも私は読解力が高い方じゃない上に読書力も低いと思うので、その辺が悲しいところ。

 

なので、私は日本人の小説家が書いた小説の方が今は読みやすいです。そもそも、翻訳ってめっちゃ難しい作業だと思われます。英語を日本語に変える作業ですからね。

 

その物語の素晴らしさを日本語でもという感覚で翻訳されているのでしょうけれども。なんでしょうね、英語の意味合いを日本語にしてもそれはやはり限界があるように感じます。

 

この言い回しはそうなのかなとか余計なことを考えてしまいますし、残念なことに、私の頭に入ってこない。

 

だから、英語の小説を英語のままで読みたいですし。

チェコ語の小説はチェコ語で理解したいと思います。

 

物語の根幹や、登場人物の言い回しとかは翻訳できますが、そもそも言語が違うということは文化や設定が違うので面白いと思う感覚も、各国それぞれだと思うわけです。

 

これが最近言語学習をしていて最も感じる部分。

 

どうしても、英語を日本語にとか、チェコ語を日本語の意味でと思っていたのは多分、学習開始してから一年くらいの頃です。

 

そのあたりから、外国語を日本語訳するのってなんでだろうと思いました。

 

で、自分に負荷をかけるために、日本語訳禁止令を出したのですが、そこから言語力はアップしています。

 

学んでいる言語を日本語で理解するという意識があると、どうしても介在が入るので、直接的理解が低くなります。

 

チェコ語チェコ語のまま理解したいので、日本語訳を排したわけです。

 

結果、チェコ語のフレーズをニュアンス理解しようとする意識が目覚めたのでそれはそれで良かったのですが、日本語を外国語で説明することは本来無理だと思いますし、逆も真なりと思います。

 

何が言いたいかというと。

 

外国語の翻訳小説を読んでいて感じる違和感と、外国語を日本語理解しようとする意識がとてもよく似ていて、外国語をそのまま理解しようと思えば思うほど、日本語で説明できないことが多いです。

 

翻訳した小説は外国の映画の吹き替えのように、その場の説明をするための日本語が多用されるのではないかなと思ったりします。

 

英語のギャグも理解できないし。

 

この、構造というか設定を芯から理解することができたら、今とはまた違う世界が広がると思うのですが、今の所、日本語に訳さないという初歩的な試みで検討するしかありません。