今回は、言語学習ではなく、本業の創作に関するネタです。
相手を読む。と空気を読む。と本を読む。が同じ漢字なのはなぜだ。
まず初めに、この世界は全てのことに二つの側面がある。これは私の信念にも近い考えです。
「良いこと」とはその人の感覚に委ねられており、関わり合う人や環境によって、自分の好きなことや自分が良いと思うことはコロコロと変わります。表層意識では、変わっていないと思うかもしれませんが、心とか魂とか呼ばれるたりする自分で気づいていない部分の無意識は、忙しく自分の感覚を処理しています。
で、この二つの側面を考えつつ、小説のネタを考えていたとき、ある友人から相談を受けました。
それは。
大好きな恋人なのだけど、別れたい。
その相談相手の簡単なプロフィール。年齢は20代後半。男性。
昔の自分だったら、好きなのに別れるとは何かの文学の主人公に訪れる感覚ではないかと話半分で聞いたかもしれません。
しかし、その人の話を30分ほど聞いていたら、思いました。
わからないでもない。
もしもこれが大人になると言うことなら、大人になることは自分にとっても他者にとっても残酷なのかもしれません。
自分の感覚を全て曝け出して生きることが善だとは思いませんが、自分の気持ちを隠したり人に自分を合わせたりすることも善ではないと考えます。
彼の話における要点は、大きく3つ
1)そこまで好きではない人だったら気にならないことが、好きだからこそ気になる。
2)相手のことを考えることがとても楽しいが、相手を思う気持ちが行きすぎると、束縛に変わる可能性があること。
3)愛すると同時に愛されたい。
彼は、控えめに言ってもとても優しい人です。いろんな人の中に簡単に溶け込むことができる上に、周りを気にしながら潤滑油のような立ち回りを行います。逆に言うと、彼の本音がどこにあるのかが不安になる程です。
エスパーのように、先回りをする能力は彼が人生で培った能力なのかもしれませんし、元々備わっていたのかもしれません。
しかし、相手の喜ぶポイントをかなりの精度で見出すことができる彼は、恋愛においてもう一つの側面に出会ってしまったのです。
それが、1)と2)です。
相手と深い関係になればなるほど、良い部分に作用していた読む能力が、悪い部分にも作用し始めます。
最初はうまく機能していたはずなのに、この読む能力によって相手が心を許せなくなる。こともあります。彼はこのパターンで、相手の態度が次第に変わっていったことを感じたと語ります。恋愛関係になる前なら、人間関係を構築する上で、高い能力となっていた力が、反転したのかもしれません。
しかしこのことによって、3)が発生し、大好きな相手なのに、疲れてしまったと。
これが結論でした。
私は、アドバイスを職業としているわけではないので、話を聞きながら考えたことを伝えました。彼の高い能力に尊敬の意を示しつつ、彼が自分のことを信じていないような気がすると。
彼の優しさの能力は自分自身への信頼から発せられたものではなく、他者の存在の中で立ち回るための能力なので、究極的には他者に依存していると仮説を話しました。
他者の反応によって自分の気持ちが揺らぐならそれは、自分の気持ちではなくそうあるべきだと思い込んでいる自分の観念である可能性が高いです。
自分の本当の気持ちは、決して他者によって揺らぐことがありません。
3)の愛すると同時に愛されたい
これは、自分が相手のことをどう思っているのかに集中すれば、相手の反応は関係なくなります。
人間が起こす物事や感覚には両面がありますので、「愛する」には「愛される」が対で存在します。人間の行動は相対です。
「愛」そのものに注目すると、人間の行動を超えたところにある「もの」を感じることができるはずです。
話を終えた私をみて、彼はゆっくりと涙を流していました。
この感覚、いつか小説のネタにできるかな。