チェコ語トレーニング|225日目|7ヶ月と12日
Dobré ráno.
先日、知り合いに言われました。
で、チェコ語どれくらい話せるの?
で、というのは毎日学習していることを知っているからです。
Jmenuji se.|私の名前は・・
Jsem Japonec |日本人
a mám rád Českou republiku a pivo.|チェコとビールが好き
Studuji česky každý den|毎日チェコ語を学んでる
これくらいなら言えます。でもこれがどのレベルなのかわかりません。チェコ語テストで、A1とかA2と言えば相手には明確に伝わるかもしれませんね。
すると、こう返答がありました。
努力家だね。努力という才能は自分では気付きにくいけど。
私の視点で言うと、努力という単語には、突き抜けるための意思力とか、ブレーキを拒絶する突破力のようなニュアンスを感じるので、私は自分のことを努力家と認識したことはありません。
しかし、周りから見ると。違うようです。
先日の話です。
働き方改革と女性の社会進出とワークライフバランスの三つのキーワードで記事を依頼された時に、派遣会社に登録して複数の職場で実際に労働をしてみました。そこで、休憩時間に色々な話を聞くと、ネットで言われていることや本で読んだ知識とは微妙に違っている訳です。
実際に自分の五感を通じて得たものは他のどんなものよりも尊いし、それは自分の中で真実の一片であるはず。しかし自分の経験が観念を作り出して自分の中に檻を作るのもまた事実です。今日はその話ではないので割愛します。
結果的に、1ヶ月かけて経験した仕事の経験を踏まえて自分が考えていることと政府のホームページを並列して記事を書いたのですが、担当の方から「とんでもなくリアルですね」との言葉をいただいた時、感じました。
現在の世界は、情報の再利用が凄まじすぎて、自身の体験を何となく疎かにしているような。と。
自分の中では当然のように考えることも、ある人々にとっては努力になります。さらに今はネット社会なので、「そんなことは、ネットで調べたらわかること」と言われることも多数あります。しかし、チェコ語の学習感じるのは、言語学習の過程で起こる感覚や体感は、ネットにある情報が当てはまらないということ。
唯一私が真実だと感じていることは、
2年間から3年間、毎日1時間言語学習を楽しむと、習得できる
これが幹、で、他の方法論は枝葉です。
今は組織に属しての労働をしてはいないのですが、仕事でも同じだと思います。人の批判をする人、自分のやり方を「経験という鎧」で武装して押し通そうとする人、そのようなことに自分の時間を費やしている人が大勢いる中で、仕事にのみ集中すると、短期間で大抵の人のスキルを追い抜くことができます。
でもそれは、才能とかスキルの問題ではなく、時間と自分の関係性だと思います。効率とか創造性、そして今日の冒頭で書いた努力は、才能ではなく、集中するから見えてくる景色だと感じるのです。
ある視点からすれば努力という才能があるように見えるかもしれませんが、別の視点では他が見えてない視野の狭い人とも言えます。自己中心とも表現できそうです。
いつかチェコ語を習得するのは決まっていること(今の行動を因とすれば習得は結果)なので。
現在のマイルストーンは、1人でチェコに行ってチェコ語で過ごすことに違和感ないレベルでしょうか。