チェコ語と、ビール。

A record of my love for beer and languages

雑記|言語学習過程で思う、人生との類似点

チェコ語学習日数 211日(6ヶ月と29日)
Dobré ráno.

なんだかんだで、7ヶ月。
8ヶ月目に突入する言語学習。

中学生の自分に会えるなら、こう言います。

「今は、英語嫌いでも大丈夫。将来、そんなあなたが言語学習をしているから。しかもそれは英語じゃないよ」と。

人生って本当に、何が、どこで、どうなるか、全く不明です。逆に言えば無限の可能性があります。

チェコ語を勉強すればするほど、トレーニングすればするほど、日本語の素晴らしさに気付きますし、それは日本語がいいとか、外国語がいいとかの話ではないわけです。

言語に本気で取り組めば取り組むほど、いろんなことが見えてきます。言語習得を目指す行動が、全く苦にならなくなります。この状態になればあとはこの先数年後に、習得していることでしょう。

先ほどの、中学生の自分へのアドバイスがあるなら、今から5年後の自分が今の私にこんなアドバイスをすると思います。

今、普通に、チェコ語話しているよ。って。あと、フランス語とドイツ語とスペイン語もちょっと話せるようになってる。って。

先日、フリーランスの仕事仲間と話をすることがあったのですが、チェコ語をなぜ勉強する気になったのか、そんなマイナーな言語を? と言われました。

私が思うのは、こうです。

言語学習=英語

この思考がそもそもおかしい。マイナーだからとかメジャーだからとかで自分の動きを判断したくない。

好きに、理由はない。だって好きだもん! で終わるわけです。幼児か(笑)

なぜ? が定まっていないと、何をしても続かないし、面白くもないと皆が考えます。つまり、理由が明確であればあるほど、モチベーションが長続きすると思われているわけです。このモチベーションが1番厄介で、あるときは自分を鼓舞する促進剤になる反面、あるときは、自分にブレーキをかける抑止剤となります。

目標の明確化がダメとは思いませんが、私の人生に限って言えば、山登りで例えると、頂上を見ながら歩くと目の間の小石につまづくのと同じように、目標を明確にするよりも、目の前の一歩の方が大切だと感じます。

私の場合、なぜ、チェコ語を習得したいのか。の、「なぜ」に当たる部分は、チェコでビールを飲むため。です。そしてこれはあくまでも当初の話です。

現在は、「なぜ」は消えて、行動そのものが楽しくなっています。

そして、はたと気づくわけです。

生きるってなんだ? って考え続けた、学生時代。

ある程度社会勉強をして、社会や人間関係に疲れた時代。

自分の好きなことをやろうと、人生そのものに反旗(厳密には反旗ではないけど、他者や観念上の私は、そうジャッジする)を翻した現在。

言語を習得したい、という願望が消え、毎日のチェコ語レーニングが当たり前になる。なぜ、チェコ語を習得したいのかという理由が消え、毎日チェコ語のトレーニングをすることが当たり前になる。

人生の愉しみもまた、願望とか、理由が消えた先にある日常こそに幸せが存在するのかもしれません。

脳を否定するつもりはありません。脳はいつでも、「願い」と「理由」で自分自身を成り立たせようと頑張ってくれます。でもそれとは別に、生きることとか、自分の好きなことを一心不乱に行うことが存在していることを最近発見したように思います。

この話の結論としては、言語習得への学習やトレーニングに、モチベーションは不要だけど、始めた瞬間に、この境地になることはできないという事実です。

哲学的な、朝です。

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