昔から時間について考えることが多かったのですが、昨年でた本を読む機会があったので、読みました。
時間だけにとどまらず、物理学者ならではのエネルギーとかエントロピーなどのネタが詰まっています。しかし、それほど難解な本ではなく、読者のことを考えながら展開されているというのが感想です。
その中で、チェコ語を学んでいる視点からなるほどと理解できたところがありました。
それは、タイトルでも書いた「指示性(指標性)」のことです。指示性とは、使う人の状況によって意味が変わってくる単語のことです。
スラブ語派の格変化
チェコ語を難解とさせている理由の一つに、スラブ系の「格変化」が挙げられます。これは、名詞や形容詞など、「性別」「状態」「性質」で言葉自体が変化することを指します。
しかし、指示性のことを考えると日本語や他の言語も性別、状態、性質で意味が違っている言葉を使っていることがわかります。
例えば、「私」
私は、自分のことを指す言葉としてよく使われていますが、100人が集まる会場では「100個の私」が存在します(言葉として)。
それぞれが使う「私」はそのあとに続く言葉を固定するわけではありませんが、私たちは暗黙でそのことを理解しています。
1)私は、男性です。
2)私は、女性です。
3)私は、背が高いです。
4)私は、背が低いです。
5)私は、日本人です。
6)私は、旅行中です。
もし、今この文章を書いている「私=ブログ執筆者」が男性で日本人で背が高く旅行中であれば、1と3と5と6は、正解ですが、2と4は、単語として「私」を使用しますが、「私=ブログ執筆者」のことを指すわけではありません。
チェコ語の整備をした、ヤン・フスは「真実の探究者」と呼ばれています。上記の変化を考えると、チェコ語の格変化は考え方としては納得できるわけです。
もしかすると、時間の概念と言葉の概念の本質を理解していたのではないか?
と私は仮定しています。状態を表すために言葉自体を変化させる。
本を読みながらチェコ語のことが浮かぶ状態は、良い意味で重症だと感じます。