ビール、チェコ語、ポーランド語

A record of my love for beer and languages

【ビール】ラガービールの起源と、情報について考える

日本を含む世界全体で、現在異常事態が起きています。

 

そんな中、周りの方々をみていると感じることがあります。必要以上の情報が入ることで自分の考えで行動することが減るのではないかとの懸念です。私は、テレビを観ない(テレビがない)ため、何が起こっているのかがいまいち実感として湧いてきません。

 

そこで今日は情報について記録します。

 

パンデミック

 

ドラッグストアに行ってティッシュやトイレットペーパーがなくなっていても、自宅にあるストックと購入頻度を確認するとあと2ヶ月くらいは買わなくても大丈夫です。このまま製造がストップする状況なら考えますが、今の社会ではそうなる可能性は低いはずです。

 

パンデミックで言えば、過去にヨーロッパで流行したものは、世界全体の人口のうち、4分の1が亡くなりました。現代のように超高速情報社会ではないので、人々はただ収束を待つだけだったと思います。現在とは環境が違いますが。

 

言語学

 

言語学習についてもそうです。情報と事実は少し違っているような気がしています。ある外国の方が、マルチリンガルのかたにインタビューをして調査をしたところ、共通点はなかなか見つからなかったと告白しています。方法論については種々あるようです。唯一あるとすれば、言語学習を楽しんでいる人がマルチリンガルになっていること。です。

 

これはもはやスキルや方法論ではなく、精神論だと思います。にもかかわらず最速で英語学習をマスターする方法が人々の気を引くのは、世界全体で自分の行動に自信が持てないことの裏返しかもしれません。

 

映画鑑賞

 

もう一つ例を出します。私は映画が好きなので映画館に映画を鑑賞しに行くのですが、ネットの情報は極力みないようにしています。その人が感じたこととと自分が感じたことが同じはずがないと考えるのが理由です。好きな映画の傾向はあるかもしれませんが、レビューとは無責任な情報の一つだと感じます。

 

このように、情報はあくまでも情報として捉えること。

自分が信じていることと真実と情報を分けて考えること。

今の状況で、ふと考えたことです。

 

チェコ旅行

 

さて、今年の5月にチェコに行こうと思ってましたが、延期することにしました。これによって、次の候補が10月になるのですが、この期間を決めたのは理由があります。

 

5月に行きたかったのは、チェコの音楽家であるスメタナの命日である5月12日に合わせて、プラハで「春の音楽祭」が行われるからで、10月はピルゼン(plzeň)でピルスナーフェスが行われるからです。

 

5月の「プラハ春の音楽祭」も10月の「ピルスナーフェス」も、サイトを見たり、本を読んだりして、イメージをしていますが、実際に行ってみると全然違うと思われます。

 

音楽とビールが好き。私を動かしているモチベーションです。

 

ピルスナービールとビールスタイル

 

ビールにはスタイルがあります。世界には100以上のスタイルがあると”言われています。”

 

全世界で大人気のラガービールピルスナー)の語源にもなっているピルゼンで生まれたビール。これを生み出したのがチェコピルゼンです。このため、ピルゼンでは毎年10月にピルスナーフェスが行われます。ビールの世界的イベントではないでしょうか。

 

ビールの話をもう少し続けると、日本ビール大手が製造しているそのほとんどが、ピルスナーです。ビールが飲めない方のほとんどがビールは苦くて飲めないとおっしゃいます。しかしビールにも苦くないものが存在していて、ワインのような飲み口のものもあります。これも情報です。

 

ビールには、発酵の種類が大きく分けると3種あります。

 

・上面発酵(エール)

・下面発酵(ピルスナー

・自然発酵(ランビック

 

それぞれの違いは、酵母の働きによるものです。チェコピルスナーが生み出されるまでは、エールビールが主流でした。チェコピルスナーが生まれたのが、1842年なので今から180年ほど前です。

 

ランビックはベルギー独特のビールで、空気中に浮遊している酵母によりビールを発酵させるものです。前述したワインに近い飲み口のビールはランビックに多く存在します。

 

 

 

世界中のビールが飲みたいので、今後チェコ語をマスターした次に学ぶ言語もビール醸造が盛んな国の言葉になると思います。

 

 

情報は大切だけど、それより大切なのは自分自身の、”好き”や”これがしたい”ではないかと思います。

 

それは、自分が苦手だと思っていた言語学を4ヶ月ほど継続できていることから導いたことです。